なにわぶし論語論 第16回「天將に夫子をもって木鐸となさんとす」励ましの言葉が染みるさすらいの旅

「儀の封人、見(まみ)えんことを請う。曰く、君子のここに至るや、吾、未だかつて見ゆるを得ずんばあらず。従者、これに見えしむ。出でて曰く、二三子、なんぞ喪(うしな)えることを患(うれ)えんや。天下の道無きや、久し。天將(まさ)に夫子をもって木鐸(ぼくたく)となさんとす、と。」 (八佾 二十四)

孔子一行が職探しの旅をしているときのこと。衛国の儀という町で人の出入りの管理をしていた役人が、孔子に面会を申し込んできた。曰く、「偉い方がこちらにいらっしゃった時は、私は必ずお会いしているのです」。孔子の弟子たちの取り次ぎで孔子に面会し、話を終えて出てきたその役人が、弟子たちに言った。「諸君、どうして孔先生が職を失って旅をしていることをそんなに気に病むのですか。天下は長く乱れたままです。(その天下を治めるため)、天がこの世に道(正義)とは何かを知らしめるために、孔先生に遊説の旅をさせているのです。」

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この節は、要約してしまえば、たんに旅の途中で何処かの誰かが「孔先生はえらい!」と言って褒めてくれた、というだけのことである。しかも発言者は、「封人」、村境の管理をする小役人である。もちろん、王様や大臣に取り次いでくれるわけでもない。
だが、魯国で失脚し、新たな仕官先を求めて流浪の旅を始めた孔子一行にとって、旅の途中で出会った見知らぬ人物からこのような賛辞を贈られたことは、どんなに心強い出来事であったろうか。だからこそ、弟子の誰かがこのことを覚えていて、論語編纂の折にこのエピソードを書き入れたのだろう。

この「儀の封人」は、まさか自分の言葉が2000年以上も後の人たちに伝えられるとは、夢にも思わなかったろう。
だが、彼の言葉が、ひょっとしたら孔子一行に力を与え、遊説の旅を続けさせ、のちの論語出版の原動力になったのかもしれないのである。人には親切にしておくものである。

だが、逆に言えば、こんなちょっと良いエピソードに感激し、論語に書いて残すほど、当時の孔子たちは落ち込んで暗い気持ちで旅をしていたのではないだろうか。
そう考えると、君子の旅も辛いのである。

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