なにわぶし論語論第42回「朝服して阼階に立つ」 

郷人の儺(だ)には、朝服(ちょうふく)して阼階(さっかい)に立つ (郷党 八)

――――里人たちが、疫病神を払う祭りで「ダ、ダ」と言いながら家々を回る時、孔子は(祖霊を驚かさないために)正装して家の霊廟の階段に立って迎えた。――――

斎衰者(しさいしゃ)を見れば、狎(な)れたりと雖も、必ず変ず。冕者(べんしゃ)と瞽者(こしゃ)を見れば、なれたりと雖も、必ず貌を以ってす。凶服者には之に式(しょく)し、負版者(ふはんしゃ)に式す。盛饌(せいせん)有れば、必ず色を変じて作(た)つ。迅雷風烈には、必ず変ず。 (郷党 十九)

――――孔子は、喪服を着た人を見れば、たとえ親しい間柄でも、必ず顔色を正した。貴人や盲目の楽士と出会われれば、親しい人であっても礼節を持って接せられた。(知り合いでなくても)喪服を着た人に会えば礼式に従って敬礼された。公文書を運ぶ人に会われても、同様に敬礼された。人から饗応を受けた時は、顔つきを改めて敬意を表した。強い雷や激しい風には(神の怒りと考えて)顔色を正した。――――

ホテル暴風雨オーナーから、「論語は全く宗教ではないみたいだ」と言われたので、あえて宗教っぽいところを2節拾ってみた。

まず最初の郷党八は、「儺」という年中行事の時の様子を描いたものだ。加地伸行氏の解説によれば、この日は村人が「ダ、ダ」と言いながら家々を回って疫鬼を払うとのことだから、日本で言えば「なまはげ」のようなものだろう。
そんな時に孔子は、祖霊を驚かせてはいけないと、家の霊廟の入り口に立ってガードをするのである。変わった人である。信仰心が厚いというよりは、変人の領域である。たぶん村の人たちからも「変わった人だなあ」と思われていたことだろう。
この節のたった一文の簡潔な記述の背後には、書き手である孔子の弟子たちの「いやあ、孔先生は変わったお人だった」という、書くに書けない感想があったのではないだろうか。

次の郷党十九では、孔子の礼儀正しさを描写している。どんなに親しい人であっても、相手が喪中であれば表情を正した。礼儀正しい人である。たまたますれ違った公文書の運搬人に対しても敬礼したというあたりは、礼儀正しいというべきか、カタブツというべきか。
これらの、孔子の礼儀正しさを表すエピソードと全く同列に、雷や暴風に対する真面目くさった態度も書かれているのが、なんともユーモラスである。

死者の霊を「鬼」といい、雷神風神などの自然の神とあわせて「鬼神」というが、以上の記述を読むと、孔子の鬼神に対する礼儀正しさは、人に対する礼儀正しさと区別し難かったようである。孔子にとって人間世界と霊的な世界はそれほど明確に線引きできない、繋がった世界だったのではないだろうか。

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