微生畝(びせいほ) 孔子に謂(い)いて曰く、丘(きゅう)、何ぞ是(こ)の栖栖(せいせい)たる者を為すか。乃(すなわ)ち佞(ねい)を為す無からんか、と。孔子曰く、敢えて佞を為すに非ず。固(こ)を疾(にく)めばなり、と
(憲問 三十一)
――――微生畝という者が、孔先生に向かって言った。「丘よ、何をそんなに忙しそうにしてるんだ。エライさんに取り入ろうとしてるんじゃねえか。」 孔先生は言った。「へつらっているわけではない。頑なになって(黙って)いるのが嫌なだけだ。」――――
「微生畝」というのは、隠者の仮名と解釈されている。「微生」が姓で「畝」が名だそうだ。「微」はちっぽけなもの、「畝」は「うね」。「名もなき百姓」といった意味になるようである。
その微生畝先生が孔子に喧嘩を売っている。「丘」というのは孔子の諱(いみな)。本名である。この時代、いきなり諱で呼びかけるというのは、大変失礼なことだった。論語の中で、「丘」という名を使うのは、孔子自身が自分について言う場合だけである。
微生畝先生、孔子に「佞を為す」(ご機嫌とりをしている)のではないか、と言う。たしかに孔子は、政治家としての活躍の場を求めて、魯国でも隣国でも、王や家老たちに積極的に売り込みをしていたし、自分の弟子たちも各国の要職に売り込んでいた。現実の政治の中で倫理を実践しなければならないというのが孔子の考えであり、儒者の基本方針である。また、孔子は礼儀正しい人だった。批判的な人たちから見れば、「出世のためにエライさんのご機嫌取りをして、忙しそうにしている俗物」と見えるだろう。だが、孔子から見れば、そういう微生畝先生は、意固地になって世を捨てた頑固者、ということになる。
だが、孔子だって時には微生畝先生のような考えに惹かれることもあるのである。国の政治が理想からかけ離れていることを嘆き、「国を捨てて筏に乗って海にでも出ちまおうか」と、弟子たちに愚痴ったこともあるくらいである。(第28回 「道行われず」 子ぼやき、子ツッコむ 参照) しかし、そちらに流れず、世俗で頑張るのが孔子であり、儒家である。
さて、この微生畝先生、何者だろうか。
論語にはこれ以上の説明は書いてないが、言っている内容からして、道家の人ではないだろうか。老荘思想を学び、世俗を捨て隠棲しながら真理の追求をすることを理想とする彼らからすれば、儒家はかまびすしい俗物どもである。そう考えると、この章、単なる田舎親父と孔子の口喧嘩ではなく、道家と儒家の思想論争だったのかもしれない。
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