前回私は、人の「たましい」を、その人についての記憶と考えてみてはどうかという提案をした。その話を続ける。
我々現代の日本人が死者のたましいと関わると言えば、盆や、彼岸などの墓参りの時くらいか。半ば形式化した儀式ではあっても、墓前でほとけ(死者のたましい)に向かって語りかける人は多いだろう。
誰に向かってか? 最近亡くなった、自分と関わりの強かった人がまず第一だろう。そのほとけの姿は、話しかける側の記憶の中にいる姿である。当たり前と言えばあまりに当たり前の話だ。
顔だけでなく、好んだ服やちょっとした癖、どんな仕事をしていたか、どんな性格だったか、どんな口癖があったか。生前のさまざまなエピソードをありありと思い出す人も多いだろう。そういう生き生きとした記憶があるから、生きている我々は、死者と対話することができるのである。ときには、相手からの「返事」を受け取ることも出来るだろう。それも、その人の声、話し方、口癖、考え方などを覚えていればこそである。
では、もっと昔に亡くなった人、たとえば曾祖父などの場合はどうだろう。
自分の曾祖父、曾祖母と直接会った記憶のある人は少ないだろう。しかし、自分の親、あるいは親類から、曽祖父母について、様々なエピソードを聞いたことのある人は多いのではないか。たとえ直接会ったことはなくても、そのようにして、ある人の人格は、その人の死後も生き生きとした記憶として受け継がれることができる。
そうは言っても、自分の三代前、四代前やそれ以前の先祖について、生き生きとした知識を持っている人はごくごく僅かだろう。それくらい昔の人たちは、「私の先祖は明治時代にはどこそこでお百姓をしていたらしい」とか、「うちの先祖は江戸時代にはどこそこの殿様に使える武士だったそうだ」という具合に、一人一人の個人としてではなく、「先祖」という集合として記憶されるようになる。
たましいが記憶だと考えると、人のたましいというものは、死後数十年くらいの時間をかけて、だんだんと他の人々のたましいと融合し、一つになって行くということになる。
日本の仏教で、亡くなって間もないほとけは個人の名前(戒名)を書いた位牌を仏壇において拝むが、数十年(三十三年、あるいは五十年)経つと「先祖の位牌」にまとめられるということも、多くの墓が「先祖代々の墓」だということも、こう考えると納得できる。
また、たましいの集合は、家単位であるとは限らない。自然災害や戦争などで大勢の人が亡くなった場合は、「○○台風被災者の霊」、「平家の落人の霊」といった集合も出来る。
一人の人が、さまざまな人たちによってさまざまな形で記憶されることで、複数の集合に含まれることにもなるだろう。一人の人のたましいは、ひとつでありながら同時に多様な姿で存在できると言ってもいいかもしれない。そしていつかは、おびただしい数のたましいと一体になって行くのだろう。
考古学ファンの人ならば、遺跡の中に弥生人のたましいや縄文人のたましいを感じることもあるのではないだろうか。そのたましいは、すでに個性を完全に失った、集合としての弥生人、縄文人のたましいということになるだろう。
ところで、歴史に残るような有名人の場合、数世紀に渡って名前を持つ個人として人々に記憶される。特定の個人として人々の記憶に残っているということは、その人のたましいが、いまだ個性を保ったまま存在し続けていると言っても良いだろう。