前回は、人は皆物語を作るという話をした。ごっこ遊びや空想、白昼夢の中で、いっとき人は物語の主人公になる。だが、自分が主人公にならない物語も、人は作る。噂話というやつだ。
河合隼雄が著書の中で、面白い体験を語っている(*1)。
河合が留学から帰国したしばらく後、本屋で立ち読みをしていると、近所の主婦たちの噂話が聞こえてきた。曰く、近くの小学校に一人の帰国子女が転校してきた。その子は父親の留学先のスイスで暮らすうちに日本語を忘れ、ドイツ語しか喋らなかったのが、帰国するとたちまち日本語を覚え、学校の成績もトップになったという。
彼女らは、熱を帯びた口調でその素晴らしい天才児について語り合っていた。河合は彼女たちの話している子供が、本当はそんな天才児ではないことを知っていた。なぜなら、その子供とは、河合の子供であったからだ。
この場合、帰国子女が転校してきたという小さな事実が母親たちの心の中にある「内的真実」を刺激し、素晴らしい子供の物語ができたと、河合は解釈する(*2)。
元となる出来事や人物がもっと有名であれば、実際に伝説として定着するかもしれない。たとえば、将軍の発した生類憐みの令に逆らって民衆の喝采を浴びた大名が、「先の副将軍」が諸国漫遊して悪を凝らす伝説の主人公になったように。
世の中にはたくさんの伝説や昔話などの物語がある。数ある物語のうち、ある特定の宗教の世界観を表すのにふさわしいものが(ある程度の改変を伴って)体系化されたのが、神話(体系)なのではないだろうか。
いや、逆かもしれない。ある時代、ある地域の多くの人たちの「内的真実」に合致し、受け入れられたたくさんの物語(伝説や昔話)が寄り集まり、その時代その地域の人々に共通の世界観を表したのが神話(神話体系)で、その世界観によって物事を説明し、問題に対処し、共通の世界観によって多くの人の間、および世代と世代の間に絆の感覚を作り上げるのが宗教だとは考えられないだろうか。
古代には、物語はもっぱら人から人へ口伝てで広まっただろうから、出来上がる神話体系には、地域性があっただろう。人が航海術を身につけ、遠方に移動するようになると、世界各地でできた異なる神話や宗教が出会い、ぶつかり合うことが始まった。日本に仏教が、南米にキリスト教が持ち込まれたように。
現代の情報化社会では、神話は一瞬で世界のどこへでも伝えられる。地理的な制約は無くなり、また個人的レベルで物語をやり取りすることができるようになる。Aさんがネットを介して世界中の人々と共有している神話と、Aさんの隣に住むBさんがネットを介して世界中の(別な)人々と共有している神話は、全く違うということもありうるわけだ。
Aさんはグローバリゼーションによる世界の繁栄という神話を信じ、Bさんはグローバリゼーションと戦う愛国者の勝利という神話を信じているかもしれない。
グローバリゼーションは神話だろうか? 「神話」というと嘘というイメージが強いが、そのような偏見を持たずに、神話を「一つの世界観を表す物語の体系」と考えれば、グローバリゼーションも神話であるし(*3)、またその世界観によって物事を説明し、問題に対処し、共通の世界観によって多くの人の間、および世代と世代の間に絆の感覚を作り上げるという意味で、宗教といっても良いのではないだろうか。
*1 「昔話の深層」 福音館書店、講談社+α文庫
*2 河合は「素晴らしい子供」の物語の例として、桃太郎、一寸法師、ヘルメース、ヘラクレスなどを挙げている。
*3 スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツが代表的な英雄だろう。