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左脳ダウン6回目。脳科学者ジル・ボルティ・テイラーを一躍有名にした著書「奇跡の脳」を取り上げて、あれこれと思いつくままに「左脳 vs 右脳」雑談を語ってきた。「4~5回程度」となんとなく予定していたのが、なんと6回も語ってしまった。11月も終わることだし、そろそろこの話題も終わりにしたい。
そうそう。最終回なのでちょっと触れておきたいことがある。
魔談で「左脳ダウン」開始にあたり、この1ヶ月間ほど筆者は書籍やサイエンス雑誌やネットであれこれとジルに関する記事や評論や対談などを調べてきた。やはり(涅槃をはじめとする)彼女の文学的・宗教的・感動的な表現にとらわれてしまっているというか、「論点がずれてしまっている」と思われる第一印象の記事がじつに多かった。印刷冊子の場合は記事の文字数に制限があり、そのため読者が最も興味をそそられるであろうポイントに話が集中してしまうのは、まあ仕方がないのかもしれない。しかしそれにしても「彼女が著書で言いたかったのはそんなことではない」と思うようなケースが目立った。
多くは「若くて意欲的な女性脳科学者がたまたま脳卒中となり、左脳ダウンにいたる自分の変化を克明に記録して本にした」とまあ、こんな具合に書かれている。もちろんこの点につき誤りはないのだが、そもそもジルがなぜ脳科学者を目指したのか、そこに言及してほしいと筆者は思った。
ジルには兄がいる。兄は子供時代から、精神病特有の風変わりな行動をした。幼い時代からそうした兄の行動をずっと傍で見てきた彼女は、「頭のはたらき」につき興味を抱くようになった。ジルが医科大学の研究生だった時代に、兄は統合失調症と診断された。その時から彼女は統合失調症の研究に邁進するようになったのだ。
こうした経緯があったからこそ、自分が脳卒中になった時も「自分に起こった重大な危機的状況」とはいえ、彼女は冷静に観察し、克明な記録ができたのだろうと思う。
結果としてその体験があまりにもファンタスティックであり「37年間生きてきたストレスから一気に解放された!」という素晴らしすぎる体験であったため「これは涅槃だ!」と後に物議を醸し出す感動表現となった。しかしそれは結局のところ、「彼女が知っている言葉」による氷山の一角的体験表現であり、その水面下にはおそらく「どう表現したらいいのかわからない状況/既成の言葉では表現できない感動」があるのだろう。
筆者も彼女が体験した「究極のストレスフリー」状態を味わってみたいものだと思う。当ホテルオーナーの風木一人氏も筆者に送ってくれた近々のメールで、次のように述べている。……「我々は日頃いろいろな制約を自らに課して生きているので、それから解放されたい思いは常にどこかにあるんでしょうね。圧倒的自由、恍惚感。リスクなしにそれを味わえるなら誰でもやってみるでしょうけれど……。そう甘くはないのが現実ですね」
誠に同感。
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そこで、この話は最後にひとつのSF映画を紹介して終わりにしたい。
「ブレインストーム」(1963年アメリカ/ダグラス・トランブル監督)は御存知だろうか。クリストファー・ウォーケンといえば、筆者は即座に「ディアハンター」(1978年)に登場の青年ニックを連想する。ニックが陥落寸前のサイゴンで悲惨な最期を遂げる強烈なシーンがあるのだが……そのウォーケンが「ブレインストーム」冒頭では、複雑に回路が絡んだ奇怪なヘルメットを頭にかぶっている。
SF映画好きであればこのシーンを一見しただけで、「ははあ、脳の情報を記録する装置だな」と想像がつくようなシロモノだ。そのヘルメットは(SF映画ならではのスピードで)あれよあれよと言う間にたちまち進化し、デザインもスマートになり、それをかぶった人間が五感で得たあらゆる情報を記録できるだけでなく、他者も共有できるようになる。
その開発中に研究チーフであるリリアンは、研究室にひとりでいた時に持病である心臓発作に襲われる。咄嗟に死を覚悟した彼女は、激しい痛みや体の痙攣と戦いつつ開発中のヘルメットを装着する。記録「ON」となった状態を見届けて、そのまま息を引きとるのだ。
この貴重にして超ヤバイ「魔のデータ」(死の瞬間の五感記録)をそのまま再現して共有したらどういうことになるか。うっかりと「再生」し、一瞬にして死にかけてしまう研究員。「まあそうだろうな」と納得できる。再生どころか瞬殺である。リリアンが死ぬ間際に感じたあらゆる激痛苦痛が「ON」で一気に怒涛のように襲ってくるのだ。耐えられるはずがない。
そこでウォーケンは「死の記録データ」を分析し、分割し、明らかに「これを共有してしまったらアウトだ」部分をカットする。具体的にそれは示されていないが、「激痛/苦痛」などがまさにそうだろう。
こうして整理され、無害に近い状態まで薄味にされた「死の瞬間の五感記録」を彼はついに共有するのだが……その瞬間の彼の表情、まさに「恍惚の人」となってしまった瞬間、彼が見た映像が面白い。この映画では空間に浮かんだ無数の泡に浮かび上がった過去映像がウワッと迫ってくる。日本人が抱く「今際の際の走馬灯」イメージとはちょっと違うようにも思うが、「一見の価値あり」シーンである。なんと55年も前のSF映画なのだが、ぜひ御覧ありたい。
最後の最後に(笑)ひとつ余談。
ウォーケンが「恍惚の人」になってしまった瞬間、彼を心配して駆けつけた奥さんがナタリー・ウッドである。「ブレインストーム」ではキリッとした雰囲気の節度ある美人といった感じなのだが、実際の彼女はじつに恋多き女優であり……まあそれはともかく、このナタリー・ウッドが「ブレインストーム」撮影中に、なんとボートの水没事故で水死している。結果、(どのように変更されたのかはわからないが)「ブレインストーム」はシナリオ変更せざるをえなかったらしい。残念な話である。監督はさぞかし無念だったことだろう。この映画のエンドロールには「TO NATALIE」という文字が出てくる。ナタリーは死んだ直後に「ブレインストーム」の行方を思ったのではないだろうか。
…………………………………… 【 完 】
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