【 追悼魔談 】魔の表情(1)

2019年2月1日(金)早朝。私はいつものように6時に起床した。標高650mの山村ではいまの時期、朝は戦慄的に寒い。ベッドを出て足早に隣の仕事部屋に行き、石油ファンヒーターのスイッチを入れた。いつものように壁の温度計をチラッと見た。マイナス2度。
「さむいさむい」とつぶやきながら手早く服を着た。温水で洗顔し、温水をマグカップにたっぷりと入れて、歯磨きを始めたときだった。携帯が鳴った。弟からだった。「こんな早くに?……めずらしいな」と思ったが、それ以上の予感めいたものはなかった。
「オヤジが……息をしてない。たぶん死んでる」
左手の歯ブラシは床に落下した。

……3日後。2月4日(月)の夜。父の葬儀を終えて帰宅した私は、歯磨きがついたままの歯ブラシが床に転がっているのを発見した。苦笑はそのまま涙となった。

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2月1日(金)は、岐阜県の山奥から京都の実家に急行する日となった。名古屋駅を発車した新幹線が京都駅ホームにすべりこみ、見慣れた京都タワーが接近してきたとき、言いようのない寂寞感に襲われた。以前から幾度となく予想してきた事態ではあった。……そう。予想は何度もしてきたのだ。しかし「まだ少し先だろう」「まだ大丈夫だろう」……そうした根拠のない楽観の繰り返しにいつしか慣れてしまっていた。
この正月、新年の挨拶で92歳の父の様子を見た時も、彼の顔面は血色がよく、食欲もあった。「毎晩のお風呂が長過ぎる」と母がこぼしていた。1時間たっても出てこない。浴槽に浮いて息絶えているんじゃないかと心配した母が様子を見に行くほどだという。父は入浴中の浮力を利用して、浴槽内で軽い体操をしているらしかった。「いいことじゃない。体操は大事だよ」と私は笑った。「大丈夫だ。今年も行けそうだ」と思ったばかりだった。

その正月。父と少しばかり会話をした。まさかこれが最後になろうとは、双方ともに思っていなかった。すっかり耳が遠くなってしまった父との会話は筆談だった。
「ネットの絵画は、テレビよりも色は正確か?」
一瞬、画素数の説明をするべきかどうか迷った。しかし「やめておこう」と思った。
「ネットは荒い画像のものが多いです。テレビよりも信用できないです」
彼は微笑して頷き、私の肩を二度ほどトントンとたたいた。その仕草は彼の癖だった。「わかった。ありがとう」という意味でもあり、「お前も大変な時代に生きてるな。まあがんばれ」といった意味でもあったように思う。

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慌ただしく帰宅し、母の様子をチラッと見てから居間に入った。布団を敷いて寝ている父の脇に座った。穏やかに寝ている、としか思えなかった。思わず声をかけて「どうしたの?……そろそろ起きなよ」と言いたかった。
しばし目を閉じ、改めて気持ちをしずめ、ひそかに覚悟した。ゆっくりと右手を伸ばして、父の頬に触れた。予想していたことではあったが、そのあまりの冷たさに、衝撃が走った。思わず尻を浮かし、右手全体を父の頬に当てた。石膏のように冷たい頬だった。いまこの瞬間に、私の体温をすべてあげてもいい。神様、それでも無理ですか。

丹田のあたりからぐうっとこみ上げて来るマグマのような激しい感情を無理矢理に押さえこみ、横目で隣室にいる母の様子をうかがった。いまここで私が感情をあらわにしたら、母にどのような動揺を与える結果になるか、計り知れない。
母は居間のとなりのキッチンにいた。父と私のいる居間に入らず、キッチンの板の間に正座し、座布団もなしで、それとなく私の様子を見ていた。ギリギリの感情のボーダーに立っていることを、私は改めて自覚した。私は動揺を隠すような気分で立ち上がった。上体がグラリと揺らいでしまうのではないかと不安だったが、大丈夫だった。
「描いておこうと思う。いいかな?」
母は無言でうなづいた。私はスケッチブックと色鉛筆を持ってきた。

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生前の父は、私に描かれることをいやがった。何度か「描こうか」と誘ってみたのだが、だめだった。
「なんだお前、遺影でも描くつもりか。お前のまずいデッサンを見たら、死ぬ気にもなれんだろうな」などと憎まれ口をたたき、許してくれなかった。お互いに「絵描き」であり、終生、お互いに譲らない絵画制作理論もあった。彼は「デッサンは修練である」といった考えかたをしていた。「自分の観察と描写の至らなさを思い知るためにデッサンをするのだ」と聞いたことがある。「……修練?」私は笑ったものだ。「父さん、それは戦前の美術教育論だよ」
しかし彼は「戦前であろうが戦後であろうが、正しいものは正しい」といった頑として応じない姿勢をとった。まさに「修練」といった言葉に尽きる教育を受け、しかも自身が中学校や高校やカルチャースクールの教壇に立ってその精神を教えてきた人なのだ。いまさら考えを改めるはずもなかった。

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彼は、彼自身も、「もう数年、なんとかいける」と思っていたのだろう。逝ってしまう前夜に、京都新聞の書籍広告欄にオレンジ色のマーカーで囲みを記入し、母に見せて「これを買っておいてくれ」と頼んでいたことがわかった。それは書道の本だった。
なぜいまさら書道の本などを読む気になったのだろう。永遠の謎になってしまったが、新しい知識を得ようとしていたことは確かだ。この「何歳になっても学びたい」という姿勢こそが、父を92歳という高齢まで生かしつづけた原動力であろうと思う。

……………………………………   【 つづく 】

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