【 ジョゼフ・コーネル 】
ジョゼフ・コーネル(1903-1972)という作家をご存知だろうか。
私は東京の広告代理店で制作部デザイナーをやっていた時代にこの作家を知った。
当時、私が担当していたクライアント(広告主)のひとつにP社(オーディオメーカー)があり、その会社の広告やパンフレットを制作していた。あるときP社から依頼を受けて、カレンダーを制作することになった。P社広報部はAE(アカウント・エグゼクティブ/営業)に12点の写真を渡し、私はそれを自社の打ち合わせ室で受け取った。
毎月1点のアート作品をビジュアルとするカレンダーの制作が始まった。私は1月から順にそのアート作品を見ていった。絵画が主流だった。1月から11月までの11作品を見て、私はその作家名をすぐに言い当てることができた。ところが最後の月、12月は違った。それは唯一の立体作品であり初めて見る作品だった。
(なんだこれは?)と奇妙に思いつつ、私はその作品に見入った。それは前面にガラス板がはめこまれた木箱で、その中にマッチ箱や切手やセピア色の写真が配置されていた。作品というよりも「自分の大切な思い出の品々をその木箱の中に封印しておく」とでも言おうか、極めてナイーブでどこかにノスタルジアを感じさせるような木箱だった。
当時はネットも携帯もない時代である。私はその木箱作品に日常生活にはない静かな安らぎを感じ、「ジョゼフ・コーネル」という名前を手帳に記した。土曜日か日曜日にでも図書館に出かけて行ってじっくりと調べてみたい作家だと思った。
しかしその当時、私は多忙だった。残業につぐ残業で、平日の帰宅は午後11時前後だった。朝は午前7時には自宅を出なければならない。連日の疲労が深く蓄積し精神は乾ききった軽石のように無数の穴があいていた。土日は平日勤務の反動で午前中はベッドから出ようとしなかった。午後も自宅から外に出かける気分になかなかならず、やむなく1週間分の夜食を買いに出る程度の外出だった。買い物が済むとさっさと帰宅した。図書館まで行こうとする心の余裕はなかなかできなかった。
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そうこうするうちに、P社担当のAEがとうとう体調を崩した。彼は1週間ほど入院することになった。(これはエライことになった!)と暗澹たる気分になった。彼に代行して私がP社に出向く事態になることが予想された。ただでさえ忙しいというのに、自社を出てP社で打ち合わせし、再び社に戻って来るだけで2〜3時間はとられてしまう。更なる残業は不可能に近い。(一緒に入院したいぐらいだ)と真剣に思った。
ところが意外なことに、AE代行で社を出てP社に出向くことが幸いした。私は他のAEからアドバイス(というよりも上手に仕事をサボるコツ)を受け、「P社直行」あるいは「P社直帰」という特権を使うようになった。
要するに「朝1番でP社に直行するので、定時には会社に出勤しない」「夕方にP社で打ち合わせがあり、本日はそのまま直帰する」という連絡さえ社に入れておけばいいのだ。この特権をどのようにうまく利用するかは、わざわざ説明するまでもないだろう。それまで「社の外に出てクライアントと打ち合わせする」という仕事は全てAEに任せていた私は(なんだこんな裏技があったのか)と感心し、それ以後、AD(アートディレクター)を目指すようになった。要するに「AEとデザイナー」の両面をこなす役職である。
まあそれはともかく、社の外に出るようになった私は、P社に出向いて広報部と会うようになった。その窓口だった男は私とほぼ同世代で、穏やかでナイーブな雰囲気の痩せた青年だった。私はP社会議室で彼にカレンダーのデザインを説明した。12月のところまでくるとふと興味がわき、「12月だけが立体作品ですね。なにか理由が?」と聞いた。
彼は穏やかに微笑し、「……じつはこの作家の作品が、個人的にとても好きなのです。どうしても加えたかったのです」と言った。
「……それで最後に加えたと?」
「そうです。どこの上司も似たようなものだと思いますが……」
彼は笑って我々のほかには誰もいない会議室の周囲をちょっと見回すようなフリをした。
「頭から見ていって、最後のページまでちゃんと見る上司はいません」
我々は同時に笑った。
その後、私はしばしばP社に行くようになった。退院したAEが社に戻ってきても「P社なら時々行ってもいい」と彼に告げた。AEは「ははあ」といった感じで笑い、「それはすごく助かる。ときどき頼むかもしれない」と言った。
その後、3回に2回は私がP社に行くようになった。P社広報部の青年と昼食をとるような機会もあり、彼の唯一の趣味が「スピーカーを自作すること」だと知った。
世の中には色々な趣味があるものである。彼は様々なホームセンターに行っては良質の材木を吟味して買い求め、それを組み合わせて様々な大きさのスピーカーを作るらしかった。期待以上にいい音が出たスピーカーを作った時は「そのまま曲に合わせて天国に昇天する気分」と言った。
(……なるほど、それで木箱にこだわるのかもしれないな)と私は思った。
【 納屋の客たち 】
さて話を戻そう。
サルタヒコが地下室個展で並べている木箱は、誰に見せるための画廊なのか。地下室の上の納屋にぎっしりと並んでいるシーラ・ナ・ギグたちが客?……これはいったいなにを意味しているのか。
(王の墓を守る兵馬俑みたいなものか)とも思ったのだが、女性が眉をひそめるようなポーズをした人形たちが地下の個展を守る?……一種のギャグか?……さっぱりわからなかった。
納屋に並んだシーラ・ナ・ギグは「アメノウズメ」ではないかという説を私は持っていた。それを孤蝶さんに聞いて確かめたいと思っていたのだが、結局、彼女は「イエス」とも「ノー」とも答えなかった。その理由は不明だが、「私にそれを話そうとして、かろうじて踏みとどまった」という印象を私は持った。
なにかが彼女にブレーキをかけていた。(もう一押し)といった気分がよぎったのだが、結局、私もまた踏みとどまった。
(異常な個展だ。理解できるはずがない。これ以上、深入りしない方がいい)といった気分が次第に強まっていた。
* つづく *