【 追悼魔談 】魔の表情(2)

父を描き始めてすぐに奇妙な違和感に気がついた。私は本人をじかに見て描いているのだが、その「本人」は今まで描いてきたあらゆるモデルと決定的に違っていた。チラッとこちらを見て照れ笑いをすることもなく、ため息に似た深い呼吸をちょっとしてみるといった緊張の仕草もなかった。微動さえしなかった。目の前で横になっているのは確かに父であり、私は「父を描く最初で最後のデッサン」といった心情でそのモデルに臨んでいた。しかしいつものように心を静めて5秒間ほど瞑目し、再び目を開いて色彩のイメージを探し始めたとき、私の直感が伝えてきたのは無彩色、あるいは限りなく無彩色に近い濃紺だった。このような色彩イメージで人物を描き始めたことはかつてなかった。
「確かに父だが」と思いつつ、濃紺の色鉛筆を選んだ。
「……すでに彼はここにいない」
油性が強く柔らかいシンのレクセル・ダーウェントにした。

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「生とは動くことと見つけたり」
濃紺の単色で制作を開始しつつそんなことを漠然と考えていた。生きているあいだは常に体のどこかが動いている。心臓は絶えず拍動し、血液は常に流れ、呼吸は無意識だったり意識的だったりする。それら全てが停止し活動をやめたとき、それがすなわち肉体の「死」だ。
しかし意識はどうなのだろう。意識はそのまま「動」を維持しているのだろうか。父の意識はいまどうなっているのだろう。あるいはそのあたりに立っていて、私の制作をじっと眺めているのかもしれない。
色鉛筆を走らせる手をふと休め、父の表情に目を止めながら周囲の空間に神経を配った。なにか感じることはないかと期待したのだが、得るものはなにもなかった。
「やはりいない」
そのように思えてならなかった。

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雑誌で臨死体験を語った記事を読んだことがある。死んだ瞬間、老いて不自由で苦痛ばかりの肉体からするりと抜け出した瞬間の快感を「古くガタのきた金属の甲冑を脱ぎ捨て、若くしなやかな健康体で、素裸で走り出したような喜び」と、そんなふうに描写していた。事実なのかどうか確かめようもないが、もし本当にそうなら「死の瞬間」はじつに楽しみだ。それを「人生最後の楽しみ」として心密かに期待しつつ生きることは、そう悪くないことのようにも思える。

父は常に新しいものを見聞することに大いに興味をもって生きた人であったので、「どうやら死んでしまったらしい」と悟ったとしても、その場で悲嘆にくれているとは到底思えない。「さてここにはどんな世界があるのか」とさっさと見に行くような人だ。下界の葬式など、たとえそれが自分の葬式であっても、まったく興味などないだろう。「すまんな。手数をかけるな。まあ適当にやっといてくれ。適当でいい」と言い残して、自分はさっさと別の世界に行ってしまうような人だ。
「やはりいない」
再度そう思った。

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「父が長年にわたり使ってきた最後の面」を描く。そのように気持ちを切り替えることにした。その瞬間に「人物デッサン」のテンションは「静物デッサン」に変更となった。様々な感情が錯綜し混乱しぐらついていた低空飛行のプロペラはやっと本来の回転を取り戻し、いつもの高度まで上昇することができた。色鉛筆を走らせる描写速度も、第2、第3の色彩選択も、一本の線にこめた確信も、いつものペースを取り戻した。じつに奇妙な話だと思うのだが、父のデッサンをしつつすでにそこに父が不在であることをいやおうなく察知することで、私は本来のペースを取り戻した。

「穏やかな表情だ」と何度か思いつつ描いた。しかしその表情はかつて父が見せたことがない種類の表情であるように思われ、「あるいはこの表情は生前にはありえない表情なのかもしれない」と思った。意識レベルにせよ無意識レベルにせよ複雑な感情や思考が縦横に錯綜し、その混乱状態の中で動き回っているのがすなわち「生」だ。そのなにもかもが緊張を解き活動を休止するのは、たとえ睡眠中であってもありえない。人は死んで初めてもっとも穏やかな表情を見せるのかもしれない。「ああこの人は本当はこんな穏やかな表情をもっていたのか」という表情になれるのかもしれない。

……………………………………   【 つづく 】

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