夜の空き地で犬が殺された。たまたまその現場近くに2人の男がいた。足場4階で涼んでいた私と、事務所脇の暗がりに潜んでいたキツネ男だ。2人とも気配で異常を察知したものの、それぞれ「その時間にそこでなにをしていたのか」と問われると少々困るような立場だった。そんな事件に関与したところで、いいことなんかひとつもないだろうし、あるはずがない。
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「殺された犬を見たか?」
私は首を振った。キツネ男がその話を始めそうだったので、すばやく右手を挙げて静止した。そんな話は聞きたくもない。
話を止められた彼は微妙に不快な表情をしたが、私は構わず立ち上がった。
「現場監督に報告せよと言われてます」
私に命じられた要件は完了したのだ。しかしまだ仕事中であり「聞きたくもない雑談につきあっている暇はない」といった気分だった。それになにかというと恐喝しか頭に浮かばないようなこんな男とサシで話をするなど、もう一分だって嫌だった。現場監督の名前を出せば、グウの音も出ないだろう。そう計算した。果たしてそのとおりだった。
彼に背中を向けて、部屋を出ようとした時だった。
「見たことがある犬だった」と彼は言った。「足を引きずって歩いてる女の子が連れてたな」
私の足は止まった。その子なら知っていた。近くに住んでいるらしく、すぐそこのコンビニで見かけたことがあった。小学校の5年生か6年生といった年頃だが、左足が不自由らしく杖をつきながら歩いていた。杖の「持ち手」部分が犬の頭になっているのが印象的だった。
「よせよせ、関わるな」という心の声を聞きながら、ドアの前で振り返ってしまった。
「それがどうだというのです」
「この顔じゃな」
彼は自分の頬を指差した。そこには鋭利な刃物でスパッと切られたような直線の傷跡があった。こんな顔じゃ、その子を見かけて近づいて行っても、怯えて逃げるだろうというのだ。同感だった。だから彼の代わりに「犬に変わりはないか」と聞いてみてほしいと言うのだ。
「聞いてどうするのです?」
「もし行方不明なら、警察に行けと言えばいい」
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なんと返答したらいいのか、わからなかった。同意も拒絶もせず、そのままドアを開けて外に出た。現場監督に報告し、「今日はもう上がっていい」と言われ、1万円札をもらった。「今日はこれで帰れる」と喜び、事務所に行くと、キツネ男が言った。
「さっき話したことは……」
「わかってます」と私は言った。「……だれにも言いません」
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うまいシューマイだった。「上にグリンピースが乗っていたらもっとうまいだろうに」と4回ほど思ったが、上にグリンピースが乗っていなくとも十分にうまいシューマイだった。
中瓶のラベルに描かれたキリンを眺めつつあれこれ考えたが、結論めいた考えは出なかった。ふとこの一件を「誰かに話したい」という気分になり、「いやいや、あんなヤツでも、約束は約束だ」と思い直した。
事件もキツネ男が話したこともそのまま胸の奥にしまいこむことにした。店を出て歩きながら「まあそのうちに忘れる」と思った。コンビニに寄ってアイスキャンディを買おう。それを食べて木の棒を見た瞬間に、全部忘れる。そういうことにしよう。じつにいい考えだと思いつつコンビニに寄ってアイスキャンディを選び、店を出た途端に少女を見た。
…………………………………… 【 つづく 】
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