【 愛欲魔談 】(3)痴人の愛/谷崎潤一郎

【 図書室 】

高校生時代、「図書室」というニックネームのクラスメイトがいた。
彼はたぶん学校一の文学青年で、思わず「大丈夫か?」と声をかけたくなるほど痩せた17歳だった。すごい読書家で、父親は私立大学教授、母親は私立女子大学講師、姉は京都大学文学部という家庭(別の言い方をすれば、ものすごいプレッシャー環境)の青年だった。さらに(家庭の方針というウワサだったが)お肉は一切食べない菜食生活らしかった。そのためかどうかわからないが、いつも青白い顔をして、数冊のぶあついハードカバーの本を4冊ほどブックバンドできっちりと巻き、胸に抱えて歩いていた。

私は「図書室」の持ち物を見て、ブックバンドというものを初めて知った。
「へえ、それは本を巻くためにあるんだ」と聞いたことがある。彼は骸骨が笑うような感じの「ヒッ」と空気が抜けたような艶のない乾いた笑い声を短く発し、「これは、アメリカの大学生ならみんな使ってる。結構、便利。10冊ぐらいなら、すぐにがっちりと縛れる」と言った。私は父親にその話をして、ブックバンドを手に入れようとした。その利点を大いに述べて父親の関心を引こうとしたのだが、「日本には風呂敷という便利なものがある」という一言で却下されてしまった。

同級生たちは男も女も「図書室」を敬遠したが、私は興味を持った。とにかくどんな本でも、彼に聞けば知っていた。
あるとき冗談半分で、彼に質問した。
「この学校の図書室にある本で、一番、Hな本は?」
彼はいつものように干からびた骸骨が笑うような独特の表情を私に向けた。空気が抜けるような「ヒッ」の後で、私に聞いた。
「そういう本が読みたい理由は?」

こういう質問を返して来るところが、いかにも「図書室」だった。質問に対して、すんなりとは答えない。ひとつのハードルのようなものがあり、それに対して彼の満足のいく解答を得ることができなければ、この同級生は「ヒッ」と笑ったきり、貝のように口を閉ざし、どこかへ行ってしまうのだ。

「我々は来たる夏休みの課題で、なんか1冊の本を読んで、その感想文を提出しなければならない」と私は言った。このような場合に「僕たちは……」とか「オレたちは……」という表現をせず、「我々は……」という表現をするのが私は好きだった。大した理由はないのだが、どことなく映画的な、物語的な、小説的な表現だと当時は思っていたのだ。

「そこで早めに手を打ち、図書室の本を借りておこうと思う」と私は続けた。
「……図書室にあるのなら、それは京都府の教育委員会が認めた本だ。だから府立高校であるこの学校の図書室にあるわけだ」
一旦言葉を切って「図書室」の反応を見た。特に異議はないといった茫洋たる表情だ。

「そこで人の目を気にすることなく、堂々と〈これは図書室の本だ〉という建前でHな本があるのかどうか、聞いてみたかったというわけだ」
彼は「ヒッ」と笑ってうなずいた。どうやら納得できるレベルの理由として認められたようだった。

放課後になって我々は図書室に行った。
彼はある棚の前に立ち、いかにも精通しているような余裕の視線でスーッと背表紙を眺めていって、1冊のハードカバーを取り出した。
「やはり谷崎でしょう」
まるで同級生でも呼ぶようなその言い方に、私は改めて感服した。
谷崎潤一郎。知らない作家だった。
「まずはこのあたりから読むといいでしょう」
彼が指差した作品が「痴人の愛」だった。

さてそれはどんな小説だったのか。次回から詳しく述べていきたいと思う。

追記。

谷崎潤一郎を読み始めてから数日後、古典の時間に先生が私を見てニヤッと笑った。
「北野君、きみは谷崎を読み始めたようだな」
バレてるじゃん。不意を突かれてドキッとしたが、動機が動機だけに、谷崎について質問された時の「冗談めいた予防線」はある程度考えていた。
「はい。将来は谷崎を越える小説を書くつもりです」
古典の先生と「図書室」だけが、爆笑した。

✻ ✻ ✻ つづく ✻ ✻ ✻


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