「見たか?」
「……見ました」
「話したか?」
「……話してません」
我々は事務所にいた。長テーブルの端で調理パンと缶コーヒーを袋から出して昼メシ休憩を楽しもうとしていたら、キツネ男が来てすぐ前に座ったのだ。
チラッと彼を見たが、ウィンナーをはさんだ調理パンをかじり口をモグモグと動かしている最中で、言葉など発したくはなかった。挨拶もしなかった。すると彼が唐突に聞いてきた。
私は即答しなかった。口の中の調理パンを十分に咀嚼し、ゆっくりと喉に流しこみ、缶コーヒーをひとくち飲むまで返事しなかった。そんな質問の返事のためにこの貴重な時間を早めなければならない理由はなにひとつない、と言わんばかりだった。
彼は私の態度とそっけない返事にイライラしていたが、それ以上はなにも言わなかった。かりになにかを言ったとしても、私がまったく応じないであろうことを悟ったのだろう。
彼がなぜそのようなことを言い出したのかよくわからなかったし、わかろうとする気もサラサラなかった。誰に対しても「隙あらば恐喝せん」しか考えていないような最低の悪党だ。こんな男の提案など、無視した方がいいに決まってる。私の中でその件はすでに「終了」の印がポンッと押されていた。
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しかし困ったことに、その後、少女を見かける機会が増えた。杖を手にして街角に立ち、それとなく周囲に視線を走らせている様子はどことなく痛々しかった。誰に話しかけるでもなく、ただ黙って立っているだけだったが、その様子は明らかに「なにかを探している」風情だった。
それに彼女は目立った。おそらくは本人が想像している以上に……いや本人はそんなことは想像さえしていないだろうが、「異様に」とつけくわえていいほどに目立った。いつも葡萄色の麦わら帽子をかぶり、うすい水色や純白のワンピースを着ていた。襟元や胸や袖口にはフリルや繊細なレースがほどこされていた。左足のすぐ脇に杖が直立していたが、左足と杖はほとんど同じ太さのように見えた。彼女の右足は普通だったが、左足は骨に皮が貼りついたような細さだった。腕も首も痛々しいほどに白く細く、精気が薄いというか、街中に忽然と現れたマネキン人形のような奇妙な存在感だった。
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街でこの少女を見かけると、ドキンと心臓が高ぶった。「終了」印を意識しつつ、目をそらすことができなかった。……とはいえ、立ち止って彼女を眺めるわけにはいかない。歩行速度をゆるめつつチラチラと見た。なぜ「もっと眺めていたい」という気分になってしまうのだろう。自分でもその理由がわからず奇妙なとまどいがあった。現場での往復でそれとなく、なんとなく彼女の姿を探している自分の心理がわからなかった。「今日はいないな」と思った瞬間は安堵半分、微妙に寂しい気分半分、といった心境だった。
現場監督に呼ばれた。ヘトヘトに疲れて帰り支度をしている時だった。
「もう2日ほど頼む。それで終了だ」
作業進行予定の日程表を見ながらそのように伝え、チラッと私を見た。
「……君は絵かきらしいが、よくがんばってくれた」
手を差し出し、握手し、すぐに別の所へ向かって行った。
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半ば呆然とした気分で立ち尽くした。「たぶんもう1週間ほどで終了」と思っていたのだが、なんと明日と明後日で終わりだというのだ。飛び上がるほどうれしく、同時に「もうここに来ることはない」と思い、彼女のすがたが脳裏に浮かんだ。
…………………………………… 【 つづく 】
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