【 魔の塔 】(4)震災崩壊の塔

【 浅草十二階 】

日本でもタロットカード16番「The Tower/塔」さながらの惨劇シーンがかつて実際にあったことを御存知だろうか。

凌雲閣(りょううんかく)

「雲の峰 凌雲閣に 並びけり」と正岡子規は詠んだ。
明治・大正時代に「雲をしのぐ眺望閣」と命名された展望塔が、東京(浅草)と大阪にあった。両方とも「凌雲閣」だった。浅草凌雲閣は12階。大阪凌雲閣は9階。

この浅草凌雲閣は「浅草十二階」と呼ばれて親しまれたが、最後は悲惨な崩壊だった。神の怒りが炸裂したのではない。関東大震災(1923年/大正12年)がその原因だった。
「浅草十二階」が辿った歴史を「栄光・経営難・崩壊」の3段階にわけて紹介したい。

………………………………

【 栄光の建造時代 】

浅草凌雲閣は1890年/明治23年に竣工。その当時、日本一高い建物だった。「日本のエッフェル塔」と言われ(エッフェル塔は前年の1889年に竣工)、「浅草十二階」と呼ばれて東京観光の名物となった。

1階から8階までエレベーター(日本初)もあったらしい。しかし(驚いたことに)この建物を設計したウィリアム・K・バルトン(英国人)の設計図にはエレベーターはなかった。当時の世相を思わせる「大らか」というか「いい加減」というか、バルトンの反対を押しきって後から強引に追加したのだ。その無理押しが祟ったか、開業日より故障につぐ故障。江戸っ子のヒンシュクを買った。挙げ句の果てにたった1年で使用中止。人々は階段で12階を目指した。こんな調子では客足が減るのも無理はない。

……ま、それはともかく10階まではレンガ造り、11階と12階は木造。なんと「浅草十二階」は、レンガと木でできていたのだ。地震で崩壊するはずである。

【 経営難時代 】

江戸っ子は飽きっぽいのだろうか。いや江戸っ子に限らず、当時の日本人はみな似たようなものだったのかもしれない。10年が経過したあたりから「浅草十二階」は客足がグッと減った。たちまち経営難となった。

また「浅草十二階」界隈は「いかがわしい」雰囲気となってしまった。「十二階下の女」という当時の言葉がそれを端的に象徴している。周辺は多くの娼婦たちが稼ぐような場所になってしまったのだ。もし「浅草十二階」が落雷により崩壊したのであったなら、それこそ当時のクリスチャンたちが「あれは神の怒り」と騒いだかもしれない。

【 震災崩壊 】

かくして1923年/大正12年。「浅草十二階」は33年の歴史を刻んでいたが、関東大震災により崩壊した。
なんの本で読んだ話なのかもうすっかり忘却の彼方だが、崩壊の瞬間を目撃した文を読んだことがある。……「浅草十二階」は8階より上が崩壊した。つまり8階から12階までの全階が崩壊したのだ。その瞬間、8階より上にいた人々の白い手が、窓から一斉に見えたという。まるで虚空をつかむように見えたというのだ。この崩壊で10数名が死亡した。

………………………………………………

(余談1)
鹿島建設は「浅草十二階」崩壊の瞬間をCGシミュレーションしている。それによれば地震発生後22秒で(たった22秒!)壁面に亀裂が入り、8階より上が崩壊してゆく状況を再現している。(↓)
https://www.kajima.co.jp/tech/traditional/ryouunkaku/simm.html

………………………………

(余談2)
当時の「浅草十二階」入場料は大人8銭・子供4銭だった。今の価値では、大人¥3000ほどになるらしい。意外に高い。スカイツリー(¥2570)よりも高い。

(余談3)
日本映画(&アニメ)でも、「浅草十二階」は時代を象徴する建物として登場している。
まずは「帝都物語」。「関東大震災といえば、やはりこのシーンでしょう」と言わんばかりに「浅草十二階」崩壊のシーンがある。(↓)

………………………………
あの「鬼滅の刃」にも浅草凌雲閣が出てくる。「鬼滅フリーク」は浅草の夜景をひときわ印象的にさせる凌雲閣の夜景シーンを見ただけで、「浅草十二階!……じゃあ、関東大震災前だねー」とか言ってるらしい。(↓)

………………………………

「浅草十二階」はその凄まじい最期ゆえに、今後も「関東大震災の惨劇象徴」として語り継がれていくのだろう。

…………………………………  * 魔の塔-4・完 *

魔談が電子書籍に!……著者自身のチョイスによる4エピソードに加筆修正した完全版。amazonで独占販売中。
専用端末の他、パソコンやスマホでもお読みいただけます。


スポンサーリンク

フォローする