【 復 讐 】
前回は「野心」という言葉から話に入っていったが、今回は「復讐」から始めたい。
復讐。なんとも怖い言葉だ。しかし古来より「復讐」がテーマになってきた物語や小説や映画のなんと多いことか。「復讐するは我にあり」(佐木隆三/直木賞)ほど表にあからさまに出すことはないが、じつは「復讐」が隠れテーマのような扱いになっているストーリーも多い。
ところでこの「復讐するは我にあり」は、じつは聖書の言葉だということは御存知だろうか。新約聖書「ローマ人への手紙」に出てくる。
愛する者よ、自ら復讐するな、ただ神の怒りに任せまつれ。
録(しる)して「主いいたまう。復讐するは我にあり、我これを報いん」
要するに「自分で復讐するな。神に任せろ。復讐は神がする」と言ってるのだ。なので「そんなの待てるか。オレがやる、いますぐやる」と言ってさっさと実行に移す物語や小説や映画の主人公たちは、みな神を裏切った「罰当たり者」である。キリスト教徒であればなおさらだ。
【 ジョージア 】
「ジョージア」と聞けば、我々日本人は缶コーヒーを連想する人が多いと思う。
「グルジアって国、知ってる? 聞いたこと、あるでしょ。でもいまはグルジアじゃないんだよ。ジョージアになっちゃったんだよ」と聞けば「えっ? なんでまた」と驚く人が大半に違いない。
この国は位置的には「東ヨーロッパか、西アジアか」という場所にあるのだが(上の写真の赤いマーク)、面白いことに、英語「Georgia」の綴りも発音も「グルジア」ではなく元々「ジョージア」なのだ。そこで日本(政府)に対しても「以後はグルジアはやめて、ジョージアにしてね!」と要請してきた(2014年)のである。
「えっ? 日本じゃ缶コーヒーのイメージだし、アメリカのジョージア州もあるし、グルジアでいいじゃん!」などと言ってはいけない。なにしろ長い長い間、ロシア帝国(19世紀)・ソ連・ロシアの支配を受けてきたウラミツラミがある。ソ連崩壊直後にようやく悲願の独立を果たしたが(1991)、独立後もロシアとたびたび対立し戦争まで起こしている(2008)。
じつは「グルジア」はロシア語発音なのだ。……と言えば、なにがなんでも変更したい気分もわかろうというものだ。
***
さて本題。
この国に「ウシュグリ」という村がある。簡単に行けるところではない。なにしろトビリシ(ジョージアの首都)から、乗り合いバスでざっと10時間!
東ヨーロッパをあちこちうろついている友人カメラマンは「ジョージアは美人の国」と聞いてたちまち行く気になった(笑)。トビリシで「スヴァネティを見ておけ」と聞いた。めったに行けない世界遺産だというのだ。友人は行こうとした。しかしバスに乗ったはいいが、半分の5時間あたりで猛烈な腹痛をおこし、やむなく下車した。
友人は「バスで10時間」という艱難辛苦をなめてまで、なぜ行こうとしたのか。
「スヴァネティ」という地名はジョージア先住民のスヴァン人から来ている。そこは標高3000mから5000mクラスのコーカサス山麓にあり、いまもスヴァン人が暮らしている。
この村はずいぶん長いあいだまさに「陸の孤島」だったので、現在も「ここは中世そのまま」と感動できるような独特な塔型建築が200ほどあるというのだ。塔は3階から5階のものもあり、1階は人と家畜が暮らし、2階は倉庫や道具置き場となっている。
ではなぜ3階以上が必要なのか。モンゴルなどの侵略者から身を守るためである。それは時には見張りとなり、時には要塞となる。
これらの塔は「復讐の塔」と呼ばれている。
スヴァン人には「血のオキテ」がある。自分たちの身内が殺されると、敵の一族を抹殺するというのだ。さすがのモンゴル人もこの「血のオキテ」にはたじろいだに違いない。塔を見て「あれは復讐の塔」と知ればどうだろう。戦意喪失とまではいかないだろうが、やはりたじろぐだろう。
つまりスヴァネティに林立している200ほどの塔型建築は、そのルックス、目的、そして呼称により無言の威圧感を敵に与えているのだ。言葉やイメージまで動員して敵の戦意を削ごうとしているのだ。まさに度重なる侵略者との戦い、その歴史から生まれた「戦う塔」が林立する村なのである。
* 復讐の塔・完 *
魔談が電子書籍に!……著者自身のチョイスによる4エピソードに加筆修正した完全版。amazonで独占販売中。
専用端末の他、パソコンやスマホでもお読みいただけます。