【 魔の塔 】(7)野心の塔

【 野心 】

今回は「野心/やしん」というちょっと不思議な言葉から入っていきたい。
なにがどう不思議なのか。通常、「野心」という言葉を見たり聞いたりした時に、多くの日本人はあまりいいイメージを抱かない。「あいつは野心家だ」と聞けば思わず警戒するはずだ。立身出世やなにか企んでいる計画があって、その達成に邁進している。周囲の人を踏み台にしたり、巻き添えにしたりすることもいとわない。そんなイメージだ。

しかしまた「野心」と聞けば、私はこんな話も思い出す。「シートン動物記」だったと記憶している。「オオカミは決して野心を忘れない」という印象的な一文があった。グリム童話のように「オオカミはいつも悪だくみをしている」という意味ではない。もっとリアルな話だ。
オオカミは人に飼われてどれほどなついているように見えても、それは「みせかけ」だ。オオカミは決して野にいた心を忘れてはいない。スキを見て必ず脱走し、野に帰る。オオカミにおける「野心」とはそういう意味で使われる。

ところが同じ漢字で「のごころ」と読めばどうだろう。これはもうガラリと意味が異なってくる。都会に渦巻く野心(やしん)から逃れ、田園に生きようとする牧歌的な心が野心(のごころ)である。
絵画で言えば「バルビゾン派」がそのイメージに近い。ミレーの「落穂拾い」と言えば「ははあ」とわかる人もいるだろう。1830年頃からフランスで発生した絵画の流れである。簡単に言えば、それまでの絵画テーマは、アトリエで制作する宗教絵画が主流だった。画家たちは都会を出て田舎に移住し、その風景や農民たちを描くようになったのだ。

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【 エッフェル 】

さて本題。エッフェル塔。
「魔の塔」と題したシリーズの中に世界遺産エッフェル塔を加えたら、エッフェル塔を愛するパリっ子は怒るかもしれない。ところが「エッフェル塔を嫌うパリっ子」も結構いるという話だ。意外にもパリ在住のアーティストでエッフェル塔を「あんな醜悪な鉄のかたまり」と嫌う人は多いらしい。「アンチエッフェル塔」の人々は時々エッフェル塔に行ってお茶するそうである。「なんで?」と思うでしょ?……エッフェル塔に行ってしまえば、「あの忌々しいエッフェル塔を見ないですむ」からだ。

ともあれ「鉄の貴婦人」はパリの名物、フランスの威信である。
御存知のとおりエッフェルは人名である。ギュスターヴ・エッフェル。この建築士はエッフェル塔を企画する段階ですでに名声を博していた。なにしろ「自由の女神」設計に関わった人である。女神自体のデザインをしたのは彫刻家だが、女神の骨組み(鋼鉄製)を設計したのがエッフェルなのだ。
「なんと、あれはアメリカの自前じゃなかったのか!」とあなたはいま思ったかもしれない。じつは「自由の女神」は「アメリカ独立100周年記念」(1886)ということで、フランスがアメリカに贈った像なのだ。パリで作られ、分解されてニューヨークに運ばれたのである。それにしても巨大な像をプレゼントしたものだ。たぶん英国は「フランスめ。余計なコトをしやがって」と苦々しく思ったことだろう。

自由の女神がニューヨークにドーンと建った3年後、エッフェルはさらに名声を不動のものにするべくパリ万博(1889)のシンボルとしてエッフェル塔を企画した。
ちょっと面白いのは、じつはこの塔の最初の企画はエッフェルではなく「エッフェル社」の部下2名だったのだ。彼らはその図面をエッフェルに見せた。ところがエッフェルはさほど関心を示さなかったという。しかしボツにはしなかった。「企画は進めるように」と指示した。
そこで彼らは改めて図面を再検討し、「これでは美的に乏しい」ということで別のデザイナー(この人もエッフェル社員)に美的装飾を依頼した。このような経緯で今のエッフェル塔の原型デザインが完了した。エッフェルはそれを見て心が動いたらしく、部下3人には相応の報酬を支払う条件で、塔の企画を自分のものにしたという。

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その後のエッフェルの活動というか、運動というか、根回しというか、工作というか、それがすごい。その時点で「パリ万博のシンボルに鉄塔を」企画の最大のライバルは、これまた塔だった。最もこっちは鉄骨ではなく石造りである。「伝統的な石造り塔 vs 新進の鉄塔」という対立構図となったわけだが、結果は鉄骨の勝利。エッフェルはプレゼン合戦に勝利した。このプレゼンの際にエッフェルはかなり狡猾な根回しをしたという話がある。ともあれプレゼンには勝った。「勝てば官軍」である。

エッフェルの根回しがいかに狡猾であったかという例は他にもある。プレゼンに勝ったエッフェル塔の完成予想図を見て、パリ在住のアーティストたちは怒った。団結して建造反対運動を起こした。理由はもちろん「こんなものが建ったらパリの美観は台なしだ」という理由である。彼らはその意見を新聞で大衆に伝えようとした。
ところがその同じ新聞・同じ発行の別の紙面でエッフェルは反論を長々と述べた。すでに新聞社社長と話をつけていたのだ。かくしてアーティストたちの建造反対運動は封じ込められた。

それにしても途方もない高さの塔を企画したものである。エッフェル塔は312m。それまでは300mはおろか、200mの高さに到達した建造物さえなかった。エッフェルがいよいよパリ万博に向けてエッフェル塔建設に取りかかった時、世界で一番高い塔はワシントンにあった。169mのワシントン記念塔である。エッフェルの野心は世界の「高さ競争」に一気をカタをつけたのだ。

………………………………… * 野心の塔・完 *

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