エドガー・アラン・ポー【 黒猫 】(5)

【 サラサ 】

私はサラサと名付けたネコと暮らしている。黒トラと白ネコが混ざったような、左右不対象なガラのメスネコだ。右腕はほぼ白いのだが、付け根部分に太い黒筋が2本入っている。左手はほぼ黒トラ模様なのだが、手首から先だけが白く、まるで左手のみ軍手をつけたみたいだ。

「捨てネコの里親探しボランティア」活動をしている友人に頼んで里親になったのが2020年の11月初旬。その時点で年齢は推定2ヶ月と聞いたので、誕生日を2020年9月1日とし、今年の9月1日で3歳のB.D.を祝った。サラサが大好きなネコ缶を1缶用意した。通常は(なにか祝祭時に)2回に分けて与えるので全部食えるかどうかちょっと気がかりだったが、あっという間にペロリと平らげて私を驚かせた。

つい先日の夜、午後10時半ごろ、私はいつものようにバーボンを楽しみつつ山奥の静寂を楽しんでいた。その夜は珍しく遠くの森からフクロウの声がかすかに聞こえてきた。鳴いている時のフクロウはどんな気分なのだろう。月光に輝く正円の目で地上を見据えて獲物探しをしている最中なら、鳴いている余裕などないはずだ。ではなぜ鳴くのか。テリトリーの主張か。しかし主張しなければならないほどフクロウがいるとは思えない。
そんなことを思いつつグラスを傾けていると、サラサが膝の上に乗ってきた。これまたいつものことで、別段気にも止めなかった。

隣室の固定電話が鳴った。ほろ酔い気分でとりとめのない思いに浸っていた私は飛び上がった。ビクンと震えた私の体にサラサもきっと驚いたのだろう。サラサは私の膝上から飛び降りようとした。そのままほっておけばよかったのだが、座椅子から立とうとしていた私は咄嗟にサラサの体を支えようとし、手をひっかかれてしまった。一瞬、ピッと鋭い痛みが手の甲に走ったのだが、構わず電話のところに行った。

これほどの混乱を私に与えた電話は、ただのまちがい電話だった。やれやれという気分で座椅子に戻ってきてふと手を見ると、右手の甲を横切って細く赤い線が走り、そのところどころで血が滲んでいた。やれやれという気分で消毒し、グラスに新しい氷とバーボンを入れた。

しばらくしてサラサが戻ってきた。両手でサラサの胴をつかみ、そのきれいな両眼を眺めながら私は想像した。手にひっかき傷を負わされたことから、私はふと「黒猫」を連想したのだ。

仮にいま、泥酔しているとしよう。私は想像した。かすかに痛みを感じる右手で自分のチョッキからペンナイフを取り出す。私は手が届くところにあったペンを手にした。左手でサラサの首を軽くつかんだ。さあサラサ、この次になにをするのか、お前には想像もできないだろうな。

ところがその瞬間、サラサは喉をゴロゴロと鳴らし始めた。なんとこのネコは私のおぞましい想像をよそに、リラックスし始めたのだ。私はペンを放り出した。サラサを両手で抱き、その体温を感じながら泣きたい気分になった。できるはずがない。どう考えても、そんなことができるはずがないじゃないか。この小説は異常だ。ポーは異常だ。こんな話が名作であるはずがない。

【 悪のためにのみ 】

さて本題。しかして語り手は一時的な反省と悔恨の後、またしても酒に溺れていく。さらに厄介なことに「悪のためにのみ悪をしようとする、不可解な切望」(原作)の虜になっていく。

ある朝、冷然と、私は猫の首に輪索(わなわ)をはめて、一本の木の枝につるした。
眼から涙を流しながら、心に痛切な悔恨を感じながら、つるした。(原作)

これはもう異常というほかない。ポーは読者の感情移入、共感、そうしたアプローチの一切合切をせせら笑うような気分で、読者が目を背けるほどのおぞましい犯罪者をつくりあげたのだろうか。あるいは「悪のためにのみ悪をする」という人間の精神の一種の暴走、その具体的な事例を示そうとしたのだろうか。

いずれにしてもこのシーンに感情移入などできるはずがない。読者はただこの犯罪に震え上がり、この男に恐怖と怒りを感じ、これから先はこの語り手がなにをしようとも、一刻も早く死刑になって消えていただきたい……そうした気分にさせるための強烈なシーンというほかない。いわば「この男の末期を見たい」「この男の死刑を見届けたい」というダークな願望のみが、この小説の読者牽引作戦なのかもしれない。

人の死刑を見たい。これは悪だろうか。もしそうだとすれば、「この男の末期を見届けるために最後まで読みたい」という欲求もまた悪なのだろうか。

【 つづく 】


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