【 愛欲魔談 】(6)痴人の愛/谷崎潤一郎

【 ア プ ロ ー チ 】

今回は谷崎潤一郎「痴人の愛」で、河合譲治(主人公)がどのようにして15歳のナオミをゲットしたか、という話から始めたい。
河合はカフェ・ダイヤモンド(酒場)でナオミを見染めてからというもの、ナオミ獲得に向かって着々と行動を開始する。

  【 アプローチ 】頻々とカフェ・ダイヤモンドに通い、ナオミに話しかける。
【 デート開始 】映画や食事に誘う。様々な状況でナオミの反応を観察。
【 現状分析 】こんな酒場で見習い女給をしているなどもったいないと持ちかける。
【 プレゼン開始 】なにか習って自分を磨かないかと提案。
【 願望把握 】英語と音楽を習いたいと聞き出し、自分がその月謝を出そうと提案。
【 最終提案 】喜ぶナオミを見すまし、習い事を始めるために一緒に家を借りようと提案。
【 信頼確保 】堅気の面もちゃんと見せる。ナオミの身内に会って話をしたいと提案。

心の内に秘めた動機は不純だが、やることはひとつひとつがきちんとしている。河合は通常の(日本の伝統的な)結婚の段取りを毛嫌いしている男のハズだが、こうした(自分本位の身勝手な)段取りを開始するにあたっては、用意周到に、生真面目ほどに順序を踏んでいる。

読者心理としては(特に男性の場合そうだろうと思うのだが)15歳の少女を確保するにあたり「どうやって手に入れるのか。それからどうするのか」と先を急ぎたくなるような心理がある。そこを見すました上で、あたかも焦らすように、外堀・内堀へと侵略の「歩」を着実に進めていく。さすがは谷崎。

しかしまた読者はこの小説の冒頭で、河合がいずれこの愛欲計画に失敗することを知っている。失敗をより効果的に劇的に語るためには、それ以前に幸福であらねばならない。幸福の高みが高ければ高いほどに、読者はその転落距離を存分に楽しむことができる。

かくして河合は「ママゴト蜜月」とでも言うべき至福の日々を手に入れる。ついにナオミを酒場女給から解放し、彼女と一緒にあちこち歩いて貸家を探し、手頃な洋風の一軒家を見つける。家具を吟味し、室内を装飾する。まさに巣作り。そのような生活を送りつつ河合がどのような視線でナオミの姿を見ていたか、容易に想像できる。

【 再 読 理 由 】

少々の脱線をお許し願いたい。前述の「図書室」(同級生)が再び登場である。じつは今回の愛欲魔談「痴人の愛」では「図書室」とのカラミも同時進行で語っていこうとしているのだ。

高校生の私がこの「痴人の愛」にすっかり夢中になってしまったことは容易に想像できるだろう。私は自身がハマってしまっただけでなく「あいつはこの小説をどんな風に評価しているのか」と知りたくなった。

結局、私はこの小説を読むために2週間ほど要したのだが、「あいつなら多分数日で」と想像した。乾涸びた骸骨が薄ら笑いを浮かべているような表情で、おそらくあっと言う間に読んでしまうのだろう。速読のテクニックに興味はなかったが、この小説に関する彼の感想には興味があった。

とはいえ「あの小説を読んでどう思った?」などと単刀直入に聞いたところで、この同級生がすんなりと応じるはずがない。おそらく「ヒッ」と空気が抜けたような艶のない乾いた笑い声を短く発し、そのまま黙殺してどっかへ行ってしまうだろう。
そこであれこれと作戦を考えた。いま思えば、じつにくだらないことに「よくもまあここまで熱心になれるものよ」と笑ってしまうのだが、まあ高校生なんてそんなものである。

結果、私が考えた作戦とはこうだった。ただ「どう思った?」ではダメで、「図書室」がそんなレベルの質問に興味を示すはずがない。さらに一歩、この小説の世界に踏みこんだ質問を磨かなければならない。具体的な1シーンを示した上で、「この場の河合の言動がイマイチよくわからないのだが……」といった具合に説明を仰ぐようにすれば、アヤツの興味はきっと動くだろう。

そこでそうした1シーンを探すための2回目の読書となった。じつにくだらない動機による再読だが、この再読は結果として当時の私にとっては非常に良い学習となった。映画もそうだが、2回目3回目というのはすでにストーリーを把握しているので「どうなるのか」といったワクワク感はないが、その代わりに1回目では見落としていた細部に気がつく。小説であれば、いわゆる「レトリック」とか言葉の選択に目が届くようになる。

レトリックって、なに?……という人もいるだろう。修辞とも言う。主に文学作品で、言葉を巧みにあやつって情景を美しく効果的に表現することを言う。

当時の私は「レトリック」という言葉ももちろん知らなかったし、小説を読むことで「言葉を操る作家」の凄さというか素晴らしさというか、そういったことには全く無頓着だった。
「(図書室にある本なのだからという)言わば合法的にHな本を読みたいといういかにも高校生的なアホな質問に対し、谷崎文学へと導いてくれた「図書室」は、今でも「やはりすごいヤツだな」と改めて(感謝の念をもって)思うのだ。

つづく


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