年末魔談「クリスマス・キャロル」(3)

【 亡霊登場 】

亡霊と会話する。まさに異世界の住人との対話だ。あなたはやってみたいですか。絶対にイヤですか。多くの人はそうかもしれない。しかし「自分に危害を加えないという保証があるなら、やってみたい」という人もいるのではないだろうか。私はそれに近い。

さてスクルージ。つまりあなた。
あなたにとっては目の前に現れた亡霊は、以前の仕事仲間マーリだということは一見してわかっている。重いくさりをジャラジャラとひきづり、目はガラス玉のようにうつろで、室内なのに髪は逆立ってゆらゆらと揺れている。かつては仕事仲間であり友人であったマーリは、どう見ても幸福そうではなく苦しそうだ。

亡霊マーリが現れた理由はなにか。相手がかつての仕事仲間であっても、その様子が苦しそうであっても、基本的に他人のことなどどうでもいいあなたは恐れながらもイライラする。一刻も早く亡霊が自分の前に出て来た理由を知り、その用件をビジネスライクに済ませ、消えていただきたい。

そこであなたはあれこれと冗談や皮肉を言いつつ、亡霊の様子をさぐる。そうしたあなたの態度に次第にイライラを募らせるマーリ。ついにマーリは恐ろしい叫び声をあげ、体に巻きついたくさりをガラガラとゆさぶる。恐怖が頂点に達したあなたは膝をつき、拝むように両手を握りしめる。
「かんべんしてください! どうしてわしをいじめるのか?」

「どんな人間でも、その魂はこの世の仲間のあいだをあまねく歩きまわらなければならないのだ。もしその魂が生きているうちに出歩かなかったら、死んでから後に歩くように定められているのだ。世界中をさまよい……ああ、悲しいことだ!……この世におれば互いに分かち合い、幸福な生活に変えることもできたであろうに、いまはもう分ちあうこともできないこの運命を、黙って見ていなければならないように、定められているのだ」(岩波少年文庫)

こうした説明。亡霊マーリが述べたこの言葉は、原作であれば何度でも読んで味わうことができる。一発でよく理解できなかった時は、文字を追いつつしばらく考えることができる。

私は最近よく思うのだが、そうした「時間の贅沢な使い方」はやはり読書が一番だ。ミュージカル映画もディズニー映画も「クリスマス・キャロル」はすばらしい。両作品とも心から原作を愛し、忠実に映画化しようとした作品だ。しかしやはりというか映画には映画の宿命がある。「限られた時間で物語を完結しなければならない。話をどんどん先に進めるしかない」という宿命だ。

この物語の冒頭部分、「なぜマーリが亡霊となってスクルージの前に出てきたのか」という点は非常に大事なのだが、映画では(いかにも手短な説明にまとめましたと言わんばかりの)数回にわたる会話で終わってしまう。あなた(スクルージ)だけでなくマーリさえも、先を急いでいるかのようだ。この点が少々残念だが、しかしそんなことを言っていたら、映画は2時間以内には終わらない。したがって客はお尻に痛みを感じ始めるし、映画館としても興行の回転率が悪い。

さてマーリは彼をぐるぐる巻きにしているクサリの説明を始める。それはこの世で自分がせっせと毎日作り、せっせと毎日自分を縛っていたクサリだと言うのだ。これは簡単に言えば「罪のクサリ」と考えることができるだろう。キリスト教では原罪という意識がある。アダムとイブが禁断のリンゴをかじった瞬間から、我々人類はすべて罪を背負って生きて行くことになったと説く。

スクルージ、つまりあなたは罪を犯したわけでは決してない。ただ自分の事業のみに明け暮れ、他人の不幸などまったく顧みず、慈善の心などカケラもなかった。マーリもそうだった。そしていま、マーリはそれを後悔しその罪の重さをクサリで苦しみながら、あちこちを巡っているというのだ。あなたはマーリをなぐさめる。「しかし君はいつも立派な事業家だったよ」

「事業だと!人類こそは、わしの事業だったのだ。社会の幸福ということが、わしの事業だったのだ。慈善、慈悲、寛容、博愛、これがわしのなすべき仕事だったのだ。商売上の取引などは、わしのなすべき広大な仕事にくらべれば大海のひとしずくにすぎなかったのだ!」
(岩波少年文庫)

【 出現理由 】

さて私は「クリスマス・キャロル」におけるこの冒頭部分が非常に好きなので思わず延々と語ってしまったが、3回目でまだ冒頭部分というのは問題だ。こんな調子では年内に話が終わらない。年が明けてまだクリスマスの話をしていたら、これはもう日本人的には大ヒンシュクだ。話を先に進めよう。

マーリは亡霊となった自分の姿を見て、あなた(スクルージ)が十分に震え上がり屈服した様子を見届けた上で、ようやく「ここに来た理由」を話し始める。死んだ自分はもうどうしようもない。しかしまだ生きているあなたには望みがあるというのだ。

「いずれここへ3人の幽霊が現れる。その幽霊の訪問を受けなければ、お前はわしの歩いた苦しい道をさけることはできない」(岩波少年文庫)

目の前の亡霊に完全に屈服しつつも、まだあなたには以前の「スクルージ根性」が残っている。そこで「第1の幽霊は午前1時の鐘がなったらあらわれる」と聞いたときも「3人一緒に来てもらって一度ですませることはできないのか?」と尋ねる。このあたり、あなたは土壇場でもなかなかしぶとい。しかしマーリは無視。第2の幽霊はその翌晩、第3の幽霊はさらにその翌晩に来ると予告して去った。

次回は「第1の幽霊」登場を語りたい。

 つづく 


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