エドガー・アラン・ポー【 黒猫 】(4)

【 感情移入 】

小説を読むとき、あなたは主人公または作中の誰かに感情移入して読むタイプだろうか。多くの小説愛好家は「そうだ」と答えるに違いない。読者は作中人物と一体になることで、現実生活とは全く異なる世界で喜怒哀楽を感じ、現実生活ではありえない活躍をする。物語の結末と共に、現実生活ではまず味わえない深い満足を得る。
いまこうしてこの一文を書いている私の脳裏では、映画「ネバー・エンディングストーリー」のシーン(あの映画を観た人なら即座に「ああ、あのシーンね」てな感じで頭に浮かぶんじゃないですかね)がチラチラと明滅している。

しかしどの小説も、そううまくはいかない。主人公にも登場人物にも、全く感情移入できない時がある。「なんだこの人は?」と理解できないことがある。「こんな話につきあえるか!」と気分を害して、本を伏せてしまうようなこともある。

じつは「黒猫」に対し、私はかなり上記に近いイメージが以前からあった。……というのも、この話は、明日は死刑という犯罪者の告白であり、その肝心の語り手に(部分的にでも)感情移入できなかったら、あるいは理解できなかったら、もうどうしようもない駄作のはずだ。しかし実際は駄作どころか「アメリカロマン派の名作」と言われている。これはいったいどういうことなのだろう。私の読み具合が足りないのか。
「いやいやそんなことはない」と思い直して、前回の魔談から話をさらに進めてみたい。

【 酒癖という悪鬼 】

さて本題。黒猫。
動物好きの奥さんとたくさんの動物たちに囲まれて、幸福そのものであったはずの語り手。いったいなんの不満があったのだろう。あるいはなんの不満がなくとも、ある種の人間は酒に溺れ、次第に精神が病んでゆく宿命なのだろうか。

彼は次第に「酒癖という悪鬼」(原作)の虜になっていく。なにが原因でそうなったのか。その理由は語られていない。「ああ、アルコールのような恐ろしい病気が他にあろうか!」(原作)という述懐があるのみだ。

「ずいぶん省略したものだな」とつい思ってしまうのだが、いかがだろうか。ここは一番、多くの読者の共感、あるいは共感とはいかないまでも理解を得るための「酒に溺れていく理由」が切々と語られてもいいはずだ。あるいはこの部分をスパッと省略したことで、読者にその部分の理由なり想像なりを委ねたのだろうか。

ともあれ、語り手はアル中一直線となる。しかもこの男は「酒を飲むと荒れる」という、最もタチの悪い酒癖をあらわに出す最低の男へと変貌してしまうのだ。

ここでちょっと余談に走ってしまうことをお許し願いたい。大阪の居酒屋で飲んでいたとき……私は一人でカウンター席に座ってホッピーを飲んでいた……店内の壁に貼られた文字に、ふと視線が止まった。

「酒がその人をあかん人にするのではなく、その人のあかん部分を酒が暴く」

A3サイズほどの白い紙に太いマジックインキで黒々と書かれただけの、シンプルな貼り紙。店長が書いたのだろうか。
私は思わず笑い、さらにそれが示す意味を十分に味わい、「まったくそのとおり。じつに同感」という気分で、カバンから手帳を出して書き留めた。この名言は何度か手帳を見て(酒の席で)友人たちにも語ってきたので、いまではすっかり頭に入っている。

さて話を戻そう。この小説の語り手は、もともとそうしたサディスティックな一面を隠し持っていたのだろうか。酒に溺れることによってそうしたダークサイドが表に出てきたのだろうか。深酒により妻に暴力をふるうようになった。あろうことか動物たちを虐待するようになった。そしてついにある夜、彼はひどく酔っぱらって帰宅し、その様子におびえて逃げた黒猫に対して信じがたい虐待をする。

ジン酒におだてられた悪鬼以上の憎悪が体のあらゆる筋肉をぶるぶる震わせた。私はチョッキのポケットからペンナイフを取り出し、それを開き、そのかわいそうな動物の咽喉をつかむと、悠々とその眼窩から片眼をえぐり取った。(原作)

もうこの時点でドン引き、本を投げ出して「こんなオゾマシイ話など聞きとうない!」というのがまともな読者の反応ではないか。それでも読み進もうとする読者こそ異常ではないのか。しかし確かに私の場合、ドン引きはしても本は投げ出さない。さらに読んでみたいという気持ちは確かにある。それは「異常を垣間見たい」という歪んだ好奇心だろうか。

【 つづく 】


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