エドガー・アラン・ポー【 黒猫 】(6)

【 天邪鬼/あまのじゃく 】

今回は「天邪鬼」から話を始めたい。というのも「黒猫」の語り手は「愛する猫を木につるす」という到底理解などできるはずがない異常で残虐な行為を告白する時点で、何度も「天邪鬼」という言葉を持ち出して心の内のダークサイドを説明しているのだ。

まるで私を最後の取りかえしのつかない破滅に陥らせるためのように、天邪鬼の心持がやってきた。この心持を哲学は少しも認めてはいない。けれども、私は、自分の魂が生きているということと同じくらいに、天邪鬼が人間の心の原始的な衝動の一つ……人の性格に命令する、分つことのできない本源的な性能もしくは感情の一つ……であるということを確信している。(原作)

さて「天邪鬼」。
現代の日本で「天邪鬼」という言葉に恐れを感じる人はいないように思う。「人の心を読み取り、反対に悪戯をしかける小鬼」というのがその一般的な説明だが、日常的にはもう少し軽い意味合いで使われている。「私は天邪鬼な男ですので‥…」なんて調子だ。人が「右」と言えば「いや左だ」と言う。人が「まちがってる」と言えば「いやまちがってない」という。そうした「ひねくれ者」程度の意味合いで使われることが多い。むしろ微妙にユーモアの味さえ含んでいる。
なので原作にある「天邪鬼の心持がやってきた」という一文を見ても、いまひとつダークでドロドロした暗黒フォースは感じないように思うのだがどうだろうか。

ではどんな表現が良いか。「悪魔のささやき」はどうだろう。しかし悪魔はキリスト教における神の敵対者であって、他宗教の人々にとってはなんのインパクトもない。では「魔のささやき」はどうだろう。これなら語り手の「底知れない暗黒ダークサイド」に比較的近いように思われる。

さてその「魔のささやき」。
してはいけないという、ただそれだけの理由でやってしまう。悪のためにのみ、悪をなす。
この心理、あなたは理解できるだろうか。程度にもよるだろうし、即座に「わかるわかる」なんてことにはならないだろうが、「うすうすわかる」「なんとなくわかるような気がする」なんてことはきっとあるに違いない。
禁止だらけの校則なんてのは、まさにそうだ。日本の「学校」という場はどうして(刑務所のように)禁止満載の場になってしまったのだろう。「廊下を走るのは厳禁」というポスターを見てしまったがゆえに、なんとなく走ってみたくなる。そうした反発精神は確かにある。誰にでもある。その程度の笑い話であれば、「天邪鬼の心持」は誠にピッタリな表現と言える。

しかしこの語り手の場合は、笑い話どころではない。「酒乱による暴力&虐待」という最悪行動にエスカレートしてゆく。ついに「愛するがゆえに」という理解不能の理由で猫を木に吊るす。

【 漆喰(しっくい)の壁 】

この残酷な行為をやった日の晩、私は火事だという叫び声で眠りから覚まされた。私の寝台のカーテンに火がついていた。家全体が燃え上がっていた。妻と、召使と、私自身とは、やっとのことでその火災からのがれた。なにもかも焼けてしまった。私の全財産はなくなり、それ以来私は絶望に身をまかせてしまった。(原作)

まさに天罰。それにしてもなんでいきなりの火事なんだろう? 火元は? 原因は? と疑うのが通常だろうと思うのだが、原作にその説明はまったくない。詳しい描写があるのは、その翌日、語り手が焼跡に行った時に見た光景の話となる。焼け残った漆喰(しっくい)の壁に人が群がっている。見ると、そこにくっきりと浮き上がっていたのは、首に縄を巻いた猫の姿だった。

近づいてみると、その白い表面に薄肉彫りに彫ったかのように、巨大な猫の姿が見えた。その痕はまったく驚くほど正確にあらわれていた。その動物の首のまわりには縄があった。
(原作)

語り手に共感などできなくとも、このシーンでは大抵の読者がゾッとしてしまうのではないだろうか。まるで吊るされた黒猫の幽霊が出てきたかのような怖さを感じるのではないだろうか。この展開に至っては「さすがはポー」というほかない。漆喰の壁に群がっている群衆たちは語り手の犯罪を知らないがゆえに「妙だな」「不思議だね」などと無邪気に騒いでいる。しかし我々読者は語り手の犯罪を知っているがゆえに、否応なく語り手と同じ心情でこの光景を眺めてしまうのだ。

我々読者は心にざわめきが起こっても、この世界の話の進展をどうしようもできない。ただ傍観して「その後を知る。その結末を見届ける」以外にない。これはまさに「吊るされた黒猫」の亡霊と同じ立場にいる、と言ってもいいのかもしれない。

【 つづく 】


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