棺桶人形(4)

【 特記事項 】

「お迎えしたときは……」と愛美はさりげなく言い直した。なるほど「買った時」がまずかったのか。「お迎えしたとき」でなくてはならない。
「……まもなく死ぬと聞きました」
再び私は言葉を失った。
店員がそう言ったのか?
なにを根拠に「まもなく死ぬ」とわかるのか?
「まもなく死ぬ」が、「売り」になるとでもいうのだろうか?

愛美の衝撃的な言葉に雑多な疑問がワッと錯綜状態で出てきたが、会議室のドアが開いた。舌打ちしたい気分だった。
「先生、すいません」
「はい、わかってます」

女性職員は部屋に入ってこなかった。軽く頭を下げてドアを閉め、私は改めて愛美を見た。
「今の話、もう少し詳しく聞きたいけどね」
「喫茶店にでも行きましょうか?」
「いや……。別の機会にとっておくよ」

本当はすぐにでも聞きたかった。喫茶店でもどこでもよかった。しかし講師が個人的に生徒と学校外で会うことは禁じられていた。講師契約書にもそれは明記されており、たとえ明記されていなくとも「それは確かにまずいでしょ」とは思っていた。しかしこうした禁止事項をどうこうと愛美に説明する気にはなれなかった。彼女の話に興味はますます募っていたが「今日はこのあたりで止めておいた方が……」と判断した。彼女はおそらく失望するだろう。しかし「興味はあるけれどもいずれ近いうちに、別の機会で……」といった曖昧な態度をとっておいた方が得策だろう。

愛美はちょっと黙ってまじまじと私を見ていたが、「わかりました」と了解した。軽く笑みを浮かべて「ありがとうございました」と言った。
彼女はハードカバーを出してきた。よく見るとそれは本ではなく、ハードカバーの本のような形状をした写真ファイルだった。黒い表紙のセンターに金箔の「箔押し」でケルト十字架が輝いていた。3枚のポラロイド写真をファイルに戻し、席を立った。ドアのところで私に向かって軽く頭を下げた。私はうなずいた。半ば釣り上げた大魚(奇魚と言うべきか)を逃してしまったような気分だった。残念で仕方がなかったが、一方でまた安堵に近い気分もあった。

改めて目の前に置いていた個人面談報告書に視線を落とした。授業には満足しているか、クラスには馴染んでいるか、卒業後の就職予定はあるか、その他特記事項……業務的・事務的・管理的な文字列を眺め「そうか個人面談していたのだったな」と現実に舞い戻ったような感覚が自分でも妙におかしかった。授業に対して特に不満はないと思われる。クラスに馴染んでいるかどうかはわからないが、本人からその件で相談は特になかった。卒業後の就職はまだ未定。私のペンは「その他特記事項」でふと止まった。死んで棺桶に入っている人形をこよなく愛している。そう書いてやろうか。ニヤニヤしながらペンを走らせた。特記事項、特になし。

【 カフェバー 】

私は専門学校を出た。腕時計を見ると午後5時過ぎだった。この時刻になると、自宅に戻ってなにかつくろうという意欲はもはやない。居酒屋に寄ってツマミを一品とビールの中瓶を一本。それ以上は飲まないし食べない。半ば空腹とほろ酔いで自宅に帰り、玄米茶漬けと京都のお漬物で焼酎をゆるりとやって寝る。当時はそういう生活だった。

馴染みの店は何軒かあった。「さて今夜はどれにするか」といった感じだった。焼き鳥を食いたいときはこの店、少し考え事をしたいときはこの店、カウンターにデンと乗っている大皿料理で飲みたいときはこの店……てな感じ。そのとき私は愛美が放った言葉をもう少しよく考えたかった。そこでカフェバーに行くことにした。少し歩くことになるが、その店のオールデイズな雰囲気が好きだった。クーラーにビールの中瓶はなくハイネケンやギネスの小瓶しかないのが少々不満だったが、フライドポテトはうまかった。

店内に入ると客は数人だった。この店が混むのは夜の10時ごろだと知っていた。この時間帯の、このガランとした店内の雰囲気が好きだった。
私はカウンターに寄ってマスターにギネスビールとフライドポテトをオーダーし、一番奥のテーブルまで行った。壁を背にして座り、しばし瞑目した。その店に行った時は、半ば習慣のようにそれをやった。目を閉じてしばらくはなんとなく周囲の雑音に耳を澄ませた。いかにも黒人女性ボーカルといった声音がかすかに店内を流れていた。曲は知らなかった。たぶんこんな感じじゃないかな、と貫禄たっぷりの黒人女性を想像した。入口のドアが開く音がした。なにげなくふと目を開けて仰天した。愛美が歩いてきた。

【 つづく 】


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