【 銃撃魔談 】(2)レノン襲撃とライ麦

【 汚い文体の小説が公立校教材 】

今回は小説「ライ麦畑でつかまえて」(サリンジャー/1951年)から話を始めたい。
アメリカではつとに有名なこの小説を、あなたは読んだことがあるだろうか。同じ小説の翻訳で「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(村上春樹訳/2003)なんてのもある。「村上春樹が翻訳本を出した! きっと従来の翻訳になにか不満があるに違いない」と2冊目の「ライ麦」を手に入れた人もきっといることだろう。じつは私がそうである。

村上春樹は(別のエッセイ集で)この小説を評してこんなふうに言っている。

「キャッチャー」は。現在アメリカの公立校で最も頻繁に教材として使用される小説の一つでもある。50年代に「汚い文体」を理由に迫害されたことを思えば、嘘のような話だ」
(「THE SCRAP」懐かしの1980年代)

私もまた「アメリカの公立校で最も頻繁に教材として使用される小説」と聞いて驚いた。この小説を知っている人ならきっと同感だろう。
この口語体小説で、自らを大いに語っているホールデン。彼は高校から(成績不良で)退学処分になったばかりの問題青年なのだが、その高校、校長、教師のことをもう本当に、けっちょんけちょんに、汚い言葉で、けなしてけなしてけなしまくっている。「ライ麦」はそういう小説なのだ。日本の教員委員会的観点から見れば、おそらく眉をひそめて「最も高校生に読ませたくない小説No.1」と評価するんじゃないか。そんな小説なのだ。
それがアメリカでは、公立校で最も頻繁に教材として使用される小説?
これはアメリカの教育関係者の一種のユーモアなのかなんなのかよくわからんが、まさに「嘘のような話」というほかない。ともあれ「ライ麦」はアメリカ人なら大概の人は知ってる小説ということになるのだろう。

今どきの日本の高校生が「ライ麦」を読めば、どんな感想を持つのだろう。大方の高校生は73年前のアメリカの青春小説など読まないに違いない。しかし文学を愛する高校生ならぜひ一読してもらいたいものだ。「痛快」と見るか、「共感できる」と見るか、あるいは「結局、なにが言いたいのかよくわからない」という結論かもしれない。

では1980年に25歳だったチャップマンにとって「ライ麦」はどうだったのか。彼はこの小説に心酔していた。しかし「ライ麦に心酔」がなぜレノン襲撃という行為に結びつくのか。

【 奇妙なタイトル 】

チャップマンが「ライ麦」に心酔した理由を探ってみよう。
彼の父親は妻や息子に暴力をふるう男だった。チャップマンの子ども時代は、父親の暴力に怯える毎日だった。そのうちにチャップマンは「寝室の壁の中に住む小人たち」という幻想を生み出した。彼は小人たちを支配する王だった。そのような少年がやがて成長し、16歳の時に「ライ麦」と出会う。彼はたちまちこの小説にのめりこんだ。「これはまさに僕だ!」という気分になったのだろう。

「ライ麦」に以下のような一節がある。この小説のタイトルに由来する話だ。

「僕にはね、広いライ麦の畑やなんかがあってさ、そこで小さな子供たちが、みんなでなんかのゲームをしているとこが目に見えるんだよ。何千っていう子供たちがいるんだ。そしてあたりには誰もいない……誰もって大人はだよ……僕のほかにはね。で、僕はあぶない崖のふちに立ってるんだ。僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、その子をつかまえることなんだ……つまり、子供たちは走ってるときにどこを通ってるかなんて見やしないだろう。そんなときに僕は、どっかから、さっととび出して行って、その子をつかまえてやらなきゃならないんだ。一日じゅう、それだけをやればいいんだな。ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ」

「ライ麦畑でつかまえて」(キャッチャー・イン・ザ・ライ)というちょっと奇妙な小説タイトルはここからきている。
私は30歳の頃にこの小説を知り(確か雑誌の書評欄でこの小説を知った)、「ちょっと問題の多い小説らしい」ということで、大いに興味を持って書店に行った。ハードカバーを手にして「妙なタイトルだな。どういう意味なのだろう」と思ったが「まあ、読み進むうちにわかるだろう」と。

最初の数ページを読んで「なんとまあ口の悪い高校生だな。しかしじつに達者に悪口を並べ立てる男だ。頭は悪くないが、全知能を悪口に使っているような男だな」とあきれた。チャップマンのように心酔することはなかったが「これは確かに人気抜群の小説だろうな」という感想はすぐに持った。
その当初、つまり「ライ麦」を読み始めた時点では、私はこのタイトルのイメージとして「僕はライ麦畑にいるよ。そこでつかまえてほしい」という意味だろうかと想像した。しか英語の原題を見ると、どうも違うようだ。
「ライ麦畑にいるキャッチャー?……わからん」という疑問を抱いたまま読み進むことになった。

【 つづく 】


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