【 魔談475 】無言の昼食

【 作務という修行 】

「作務にも色々あってな」
「さむ?」
かずくんは小枝を拾ってきて土をひっかき「作務」と書いた。

彼の説明によれば、寺で修行中のお坊さまたちが肉体労働的に奉仕するあらゆる活動を「作務」と呼ぶらしかった。お堂の掃除、庭掃除、畑などの農作業、食事の用意……すべて作務であり、作務もまた修行である。ただ修行とはいえ、お坊さまたちは作務の時間になると、作務衣に着替えて活発に動き回った。彼らにとってそうした(肉体を活発に動かすという)活動はストレス解消にも一役買っているのかもしれない。

かずくんと私の場合はどうか。ずっと作務衣を着ているということは、ずっと作務をしていろと言われているみたいなものだ。それがすなわち我々に命じられた修行ということなのだろう。
その経験から60年が経過した今では、そうした寺の方針はまあなんとか理解できる。しかし8歳の少年ではそんな高尚なことが理解できるはずもなかった。まして私の場合は、自分から進んでここに来たわけではなかった。不平不満は心中にうずまいていたが、しかしその一方で、日常生活とはあまりにもかけ離れた(しきたりだらけの)世界にほうりこまれてしまった一種の冒険というか、そうした気分もあった。見るもの聞くもの、みな驚きの連続だった。

正午になって若い僧がかずくんと私を呼びに来た。我々は腕時計を持っていなかったので(腕時計は禁止だった)ふたりとも正確な時刻はとんとわからなかったのだが、かずくんがその対策をちゃんと考えていた。彼は(将来は僧侶をめざす少年にしては)なかなか現実的でズル賢いところがあった。
「庭掃除でサボってるときはな、お日さんの位置を見るようにしてんねん」

当時の私がちょっと驚いたことに、彼は(作務で外に出ているときは)太陽の位置をよく見ていた。「……そろそろお坊さまが呼びに来るころ」と判断したときは、サボリを切り上げて竹ボウキを手にしていた。彼の予想は見事に当たった。「そろそろや」と彼が言った。我々が「庭掃除のフリ」を開始して15分ほど経過したころに若い僧が来た。
「厨房に行きなさい」
僧は要件のみを端的に伝えるとさっさと戻っていった。
「愛想のないお坊さまやな」
かずくんは笑った。
「子どもの相手なんかやっとれんわ、てのが本音なんやろな」
「サボってるところを見つけたら、なんていうやろな」
「たぶん、なんもいわん」
「ふーん」

【 無言の昼食 】

かずくんと私は厨房に行った。そこでは3人の僧侶たちが忙しそうに配膳の用意をしていた。比叡山では当たり前のことだが(今はどうか知らないが)どこに行っても、女性の姿が全くない。当時の私にはなんとも奇妙な男性世界だった。
「ここはお寺の台所やろ?」と私は思った。「……せやのに、ここも男のお坊さましかおらへん。女が嫌いな男が集まる山なんやろか?……ほんまに変なとこや」

我々は配膳を手伝った。僧侶たちは大広間に集合し、みな壁を背にして一列で正座していた。全部で10数人いたと記憶している。みな若い僧侶だった。修行僧だけが集合していたのだろう。僧侶たちの配膳が終了すると、かずくんと私は自分の膳を持って一番端に座った。

ここでの食事作法は聞いていなかったので、私は緊張した。かずくんや僧侶たちの様子を見ながら、自分もそれに習った。
その食事光景は、(前回の魔談でもちょっと触れたが)8歳の少年の目には誠に異様な食事だった。僧侶たちは全員の配膳が整うまで(正座したままで)じっと待っていた。誰も一言も話をしなかった。配膳が整うと全員で両手を合わせ、1分ほどで終わる「感謝の言葉」を述べた。我々もそれに習って両手を合わせた。次に全員が一斉に食事にかかるのだが、やはり会話はなし。会話どころか、みな無言で黙々と食べていた。食器の上げ下げさえ音を立てないように気を使っているようだった。

その献立は(私はその日の日記に詳しく書いている)、味の薄い素うどん(ネギさえ入ってなかった)/梅干しのおにぎり1個/たくわん3キレ。
驚いたことに、お坊さまたちはほぼ全員が、一斉に食べ終わった。少し早く食べ終わったお坊さまもいたのだが、さっさと席を立ったりしなかった。彼らは全員が食べ終わるまで、ずっと無言で正座を続けていた。

じつは私は少年時代から胃が弱く、食事はマイペースでゆっくりと食べるのが好きだった。いや「好きだった」というよりも、それ以外の食べ方などできなかった。学校での給食もそうだった。特に好き嫌いはなかったが、とにかく遅かった。食べるのが早いクラスメイトがあっというまに全部平らげてお代わりをもらいに行った時も、私はまだ半分も食べ終わっていないことがよくあった。
そんな私だったが、その場の雰囲気で「ああこれは、みんなで食べ始めて、みんなで食べ終わるんやな」と直感で悟った。悟ったのはいいが、さあそれからが大変だった。死のものぐるいで早く食べた。こんな苦しい食事は初めてだったが、胃にもたれるようなものはなにもない。意外にあっさりと全部食べ終わった。

食事の終わり頃、大きなやかんを下げた僧侶が来た。食べ終わった僧侶たちの器に順番に入れて回った。私も一番最後に注いでもらったのだが、それは白湯だった。僧侶たちの様子を見ていると、最後に飲むための白湯ではなかった。彼らは白湯を器の底に少しだけ残した。3つの器にそれぞれほんの数滴ほど白湯をかけ、手元にある白い布で全部の器を丁寧にぬぐった。あとで器を洗う必要など全くないほどに、それは丁寧なぬぐいかただった。

かずくんと私は白い布を持っていなかった。声を出してはいけないので、相談することもできない。ふたりとも無言で正座していると、我々の様子に気がついた僧侶がスッと奥に引っこみ、2人分の白い布を持ってきた。受け取った時も声を出してはいけない。私はかずくんに習い、無言で両手を合わせて白い布を受け取った。我々が3つの器をきれいにぬぐうまで、僧侶たちは全員が無言で正座していた。

【 つづく 】


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