【 魔談477 】暗闇の記録

【 クロッキーブック 】

魔談愛読の愛弟子から質問メールが来た。
「60年前のことなのに、どうして昨日のことみたいに書けるのですか?」

「昨日のことみたいに」には笑った。
種明かしというほどでもないが、じつは私なりに「これは当時の心情を書けるぞ」と確信できるレベルの資料が手元にあるのだ。

この当時、私は父から小型のクロッキーブックをもらって大事に持ち歩いていた。それはもう本当に「肌身離さず」という愛用だった。通常の帳面ぐらいの大きさ(B5サイズ)なのだが、クロッキーブックは無地で紙が薄い。価格をおさえて紙の枚数を少しでも多くするためだ。とにかくそれにクロッキーやデッサンやアイデアスケッチをどんどん描いて勉強しなさいという願いがこめられている。

父はその小型クロッキーブックが気に入ったらしく、50冊ほど買いこんでアトリエにダンボール箱ごと置いていた。自分の絵画教室(文化センター)の生徒さんたちにも買ってもらうつもりだったのだろう。「これはなに?」と聞いた私にも即座に1冊くれた。

もったいをつけながら渡すのが父のくせだった。
「これはな、画家が使うもので子ども用じゃない」と父は言った。「……しかしまあ、どういうものか知っておくのもよかろう」
私は私で、こんな時の対応を心得ていた。目を大きく開いてちょっとびっくりしたような表情をつくり、余計な質問はせず、ただ「うん、うん」と大きくうなずいていさえすればいいのだ。それさえ守っておれば、父は言いたいことを言ってしまったあとで、そこにたくさんあるノートを1冊くれるに違いない。そういう計算があった。事実、そのとおりになった。

以来、私は常にクロッキーブックを持ち歩くようになった。「気分は画家」といったところだろうか。父が教えてくれたとおり、ボールペンをクロッキーブックのリング部分に押しこんでおくと便利だった。絵やいたずら描きだけでなく、日常的な出来事や気分をガンガン書いた。1冊全部を絵や文字で埋めてしまうと、父にそれを見せにいった。父はパラパラとめくって全ページが埋まっているのを確認すると、即座に新しい1冊をくれた。

いまこのように回想談を書いていて改めて思うのだが、私はやはり恵まれていたのだ。「クロッキーブック使い放題」なんて生活をしていた子どもはその当時の私の同級生たちを見渡したとしても、まずいなかっただろう。私は(当然のように)延暦寺にもクロッキーブックを持参していた。そうした日常的な「書く&描く」習慣は、延暦寺でも大いに発揮した。

消灯後さえそれをやった。延暦寺では午後9時になったら消灯だった。部屋のハダカ電球を消さなくてはならない。私は「9時消灯」に不満だったが、かずくんは大賛成のようだった。彼の寝つきはじつによかった。
彼は(私には理解できないほどに)ここでの日常生活は緊張の連続だった。彼にとって唯一、そこから解放されるのは睡眠時間だったのだ。毎晩寝るときには必ず「ああ、あと何日でおうちや」とつぶやいた。指おり数えて山を降りる日を待ち望んでいた。私が笑って「そんなにここがいやなん?」と聞いても返事がない。もう寝息をたてていた。あきれたというか、感心した。「電池が切れた人形やな」と思った。

さて私はというと……この少年は寝つきが悪かった。昼間のことをあれこれと思い出し、思い出すと同時にクロッキーブックに書きたくなった。しかし室内は真っ暗。それでも書きたくなった。そこで腹ばいになって手さぐりでクロッキーブックを引き寄せた。リングからボールペンを引き抜き、パラパラと紙をめくっていって「このあたり」と未記入の紙を指先でさぐった。指先に神経を集中して紙の表面に指を這わせ、かすかな凹凸を感じて「あ、ここはなんか書いてる」と判断した。そのようにしてようやく空白ページにたどりつくと、なにかを訴えるように、暗闇の中で文字を書いた。

なぜそこまでしてクロッキーブックに文字や絵を残そうとしたのか。その理由はじつは私にはわかっている。それなりに理由はちゃんとあったのだ。しかしいまそれを語り始めると少々長い話となってしまうので、ここでは割愛したい。いずれ存分に語りたいと思う。

この魔談連載のおかげで、60年前のクロッキーブックを開く機会が多くなった。そこに刻まれた自分の文字や絵を眺めて、あれこれ考えたり想像したりする時間が多くなった。バーボンをやりながら眺めていることもある。じっと眺めていると、当時の自分の感情が、漆黒の心の海底からゆらゆらと細かい泡沫のように浮き上がってくるのを感じることがある。
しかしまたなにを書いているのかまったくわからない、まるで記号のような文字や絵が踊っていることもある。「まるで異星人だな」と8歳の自分の痕跡を笑ったりする。60年前の自分をつかまえて、「これはいったいなんだ?」とその文字や絵を指差して聞いてみたいものだ。少年はどんなふうに返事するのだろう。どんな声で、どの程度のボキャブラリーを使って説明するのだろう。そうした想像もなかなか楽しい。

ところで今回のこの「延暦寺魔談」は、初日のできごとを以下のような順で回想してきた。
・山門から大広間に移動し、2人の僧侶と会った。
・かずくんに教えてもらって座禅した。
・庭掃除を命じられた。
・配膳を手伝い、昼食をいただいた。
・再び庭掃除。庭で読経を聞き煙の匂いを感じ、かずくんに「護摩供」を教えてもらった。

前回の魔談で述べた護摩供だが、クロッキーブックには(全部ひらがなで)このように書いている。
「かずくんはあれはごまくやというた」
60年が経過し、これを見た私はなんのことかわからなかった。「護摩供」などとうに忘れてしまっている。
「ごまく? なんだこれは?」てな感じで調べて、やっと思い出した。
「なんや、忘れたんかいな」と8歳の少年が笑っているような気がする。

さて、この初日は午後7時の夕食でようやく長い1日が終わり、我々は自分たちの部屋に引き上げたはずなのだが……。
この「初日の夕食」記録が見当たらない。まったくないのだ。なぜ書かなかったのだろう。
クロッキーブックを何度見ても、護摩供の話からいきなり「9時就寝」の記録になっている。クロッキーブックのあちこちを探してみたり「護摩供 → 就寝」あたりの文字や絵を何度も見たのだが、やはりわからない。不思議だ。あれこれ想像してみた。
・腹痛とかなにかトラブルを起こして夕食を辞退した。
・一時的にクロッキーブックを見失った。
想像力を駆使したものの、結果、どの想像もしっくりこなかった。
自分で書いておきながら、あるいは書かないでおきながら、60年たってそれが謎と化している。じつに妙なものだ。

【 つづく 】


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