【 トラブル談収集 】
フランス語もロクに話せない旅行者がパリでタクシーに乗る。これは限りなく「危険がつきまとう」ことはわかっていた。しかし「危険がつきまとう」ことについて言えば、メトロ(地下鉄)に乗ったところで、やはり(日本じゃ考えられない)危険があることもわかっていた。パリのメトロにはスリが多いらしい。複数で組んでスリをする連中もいるらしい。
出国前にガイドブックをあれこれ読んで「どうも(旅行者にとって)物騒な街だな」といった印象を強く持ったので、私は図書館に行った。手持ちのガイドブック以外に「パリに旅行した日本人のエッセイ」を読んでおこうと思ったのだ。こうした実体験エッセイは、ガイドブックよりもリアルに切実に記憶に残るだろうと期待したし、実際、そのとおりだった。
さて図書館。こういうのは自分で書棚を探すよりも、図書館スタッフを捕まえて聞いた方が絶対に早い。そこで年配の女性スタッフを捕まえて、丁寧な説明でお願いした。幸いと言うか彼女は快諾し、一緒に書棚に行って探してくれた。たちまち4冊の本を選んでくれたので大いに助かった。御礼を言い、その中の3冊を彼女に選んでいただいて貸し出しすることにした。
その時点で出国まで1週間ほどしかなかったので、「自分なりの速読」とでもいうか、とにかくトラブル談だけを探して読んだ。「感動した」「ロマンティックだった」「美味しかった」はほとんどスルーし(笑)、トラブルに注目して読んだ。
そのトラブル談で参考になる話があった。
「タクシーの運転手ともめた」と書いていた女性エッセイストがいたのだ。彼女もまたシャルル・ド・ゴール空港からRERに乗って「パリ北駅」に着いた時点で、かなり疲労を感じた。(旅客機でよく眠れなかったらしく)旅客機を降りてから軽い頭痛がずっと続いていた。さらに「匂い」に敏感な彼女は、メトロ車内に充満している独特の匂いを想像しただけで、頭痛が増すような気分だった。そこで「パリ北駅」の喫茶店で熱いカフェ・オレを飲んで気分を落ちつかせ、メトロはやめることに決めてタクシー乗り場に行った。車輪つきのスーツケースは運転手に頼んでタクシーの後部トランクに入れてもらった。
さて目的地。メーター料金は80フラン(¥1600)だった。ところが運転手はすばやくポケットから電卓を出し、90フラン(¥1800)を出せと言ってきた。片言ならフランス語で会話できる彼女はこの態度を見て怒り、「なんでメーターどおりの金額じゃないのか」と抗議した。すると運転手は当惑した表情で「トランクを使った。だからこの金額だ」と言ったという。向こうの感覚では「トランクを開けろと言ったのはあんただ。だからチップを要求して当然だ」という理屈なのだろう。これもまた日本のタクシーじゃ考えられないケースだ。
【 中近東系タクシー 】
さて本題。
「まあ法外な料金をふっかけられないことを神に祈ろう」といった気分で、私は列に並んだ。私の前に乗客(女性2人)が並んでいたことが幸いだった。……というのも、彼女たちは自分たちでタクシーのドアを開けて乗車したからだ。これを見た時も「あっ!」と思った。軽い衝撃だった。
もし私が先頭だったら「なんでこのタクシーはドアが開かないのか」なんて気分でじっと立っていたかもしれない。RERの切符を窓口で買ったときもそうだったが、異国では「周囲の人々の行動観察」が非常に大事だと、改めて痛感した。

パリ北駅
私が乗りこんだタクシーのドライバーは中近東系の男だった。浅黒い肌。短く刈り込んだ黒髪。立派な黒ひげ。「イスラム教徒だろうか」と一瞬思ったが、白人よりも信頼がおけそうな感じがした。私は手帳を見せた。ホテルの名前と住所が書いてある。じつに幸いなことに、彼はそれを見て笑顔でうなずいた。タクシーは発進した。「あー、やれやれ」といった気分で私は後部シートに沈みこんだ。
強烈な香水の匂いがシートに残っていた。前の客は女性だったらしい。それにしてもこっちの香水の強烈なこと。客は降りても香水がシートにへばりついていた。耐え難いほどではなかったが、(前述した)「あのエッセイストなら、耐え難いだろうな」と苦笑した。
タクシーは30分ほどで目的地に着いた。私はザックを後部シートに持ちこんでいたので、ドライバーはポケットから電卓を出すようなことはしなかった。メーターは90フラン(¥1800)だった。私は笑顔で100フラン紙幣(¥2000札)を渡し、腕を伸ばしてきたドライバーと握手してクラシックタイプ・シトロエンを降りた。
【 つづく 】

