20年くらい前まで、新宿歌舞伎町の入口にあった「ジャン・ヴィゴ」というバーによく通っていた。知る人ぞ知る、映画通の名物ママさん、加納とも枝さんがいたからだ。小さなお店だったが、週末は映画好きのお客で一杯になり、一緒に楽しく映画の話をした。
とも枝さんは生きておられたら80歳近いと思うが、神田の生まれで、女学校時代を含めて小さな時からずっと映画を見てきた筋金入りの映画ファン。私なんかと蓄積が違っていて、いろいろな映画のことをよく知っていた。
粋で気さくであけっぴろげで、面倒見も良くて皆に愛されていた。店に行き始めた頃、私は30代後半だったと思うが、話が面白いので、新宿で映画を見ると寄ることが多くなった。6~7年は通ったと思う。
昼にお会いして、銀座で美味しいビールをご馳走になったこともある。レストラン「ニュートーキョー」の名物料理カミカツ(薄く上げたトンカツ)を教えてくれたのも、とも枝さん。
よく言っていたのは、「ニイムラ君、映画見たら見た分、人に優しくならなきゃだめよ」だった。もちろん、少しも説教臭くなかった。その時はどれほど理解できていたか分からない。今になってそのことばの意味が分かる。
文筆にも腕を振るい、雑誌「話の特集」「キネマ旬報」で映画エッセイを書いていた。亡くなられてから、常連の一人だった編集者高崎俊夫さんが一冊の本にまとめられた。「シネマの快楽に酔いしれて」(清流出版)と言う本だ。ちなみに高崎さんは今、素晴らしい本をどんどん世に出されていて目を瞠る。ご自身の著書「祝祭の日々: 私の映画アトランダム」も昨年読んで大変面白かった。
下世話な話も好きだった。もっとはっきり書くと面白エロ話だ。例えば、「こないだ胃カメラ飲んだんだけど、とも枝さん、ちっともくるしくなかったよ。だって、お父ちゃんので慣れてるもん」とか、当時広島カープに紀藤というピッチャーがいたが、「キトウって名前がいいわね、キトウよ、キトウ」と言って我々を笑いの渦に巻き込んでくれた。まったく、あんなふうに大らかで、硬軟おりまぜて話題が豊富だった女性って会ったことない。
彼女は「お父ちゃん」こと、大企業にお勤めの御主人の仕事の関係で店を常連の客に託し、2000年頃からニューヨークで暮らすことになった。2001年には、お家の近くで「9.11」を経験されている。直接の被害はなかったが、持ち前の野次馬根性で現場近くまで足を運んだ、と手紙で読んだ記憶がある。お元気だったのだが、その直後すい臓ガンの病に倒れ、帰国後闘病生活を続けられたが運命に勝てなかった。
前置きが長くなった。とも枝さんが好きだった監督は、店の名前にもしている「ジャン・ヴィゴ」だった。わずか29歳で夭折したフランス人監督だ。生涯わずか4作しか撮っていない。全く見てなかったのだが(とも枝さん、すみません)、今度、4Kで遺作の「アタラント号」(1934)が劇場公開された。
渋谷の劇場で見たが、監督のセンスの煌めきが随所に感じられる素敵な作品だった。セーヌ河を下る船の船長と結婚したばかりの新妻の話。新妻が都会生活にあこがれたため、船長が置き去りにしてしまう事からドラマが動く。
「詩情」という言葉が自然と浮かぶような、モノクロのピーンとした緊張感のある画面にまず感心。船が進む様やセーヌ河の川岸などを捉える構図もなかなかだ。85年前のパリやル・アーブルの港街(昨年公開の「顔たち、ところどころ」にも登場)が映るのも興味深い。そして初老の水夫のハチャメチャだが実は優しいキャラが楽しい。世界の港々で集めてきた彼のガラクタ満載の部屋がいい。
途中で官能的つまり、エロいシーンも出て来てビックリ。85年前のフランスでも描かれていたんだ。結局、男と女の「愛の歓び」を謳った映画だと思う。ラストは胸の高まりを覚えたくらいだ。見れてよかった。とも枝さんに少し近づけたと思う。
(by 新村豊三)
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