リオ五輪は終わったが、まだまだ余韻が残っている。
私がオリンピック好きなのは、少年の頃1964年の東京五輪に夢中になったからだ。当時まだ9歳。この時ほど日本選手に声援を送り、競技の観戦を楽しんだ体験は他にない。
だが、翌年学校の団体鑑賞で見た記録映画「東京オリンピック」は何だかもやもやとした印象で、さほど面白いとは思わなかった。
ところが、先日、実に41年ぶりに見たこの映画は大傑作だったのだ。
2時間50分の長さを少しも感じさせない。特に後半が優れており、日本人にはなじみ深い女子バレーの決勝や男子マラソンのシーンは圧巻だ。ラストの閉会式に至っては、平和を願う製作者の純粋な気持に感動を覚えたほどだ。
映画は競技する選手の肉体の美しさを描く。しかし、一方でカメラは、重圧の下に孤独な戦いを続ける選手の不安と緊張をじっと長回しで見つめる。
また、勝者だけでなく敗れ去る選手、限界に達し疲れ果てた選手を捉える。開催国日本や大国の選手を描くだけでなく、無名の選手をずっと見つめる(例えば、国が出来て4年目チェドの唯一の参加者。陸上の選手だ)。
そこがいい。逆に、そういったところが子供の頃面白さを感じなかった理由だろう。
きっと作り手たちは、子供は分からなくてもいい(?)、表面的な勝ち負けの世界でなく、勝負を超えた、全身全霊を込めて競技に打ち込む人間の強さと弱さを記録したかったのだ。
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ドイツにも、有名なオリンピック記録映画として1936年のベルリン大会を描いた「民族の祭典」がある。ヒトラーから委託された女性のレ二・リーフェンシュタールが監督を務めた。
「東京」と比較すると、残念ながら、私はこの映画があまり好きではない。
描かれるのはほとんど競技の決勝だけだ。勝者を記録するばかりで、単調というか平板な印象を抱かざるを得ない(見ているDVDを早送りしたくなって来る)。敗れる者、無名の選手への視点が無い。「東京オリンピック」の方がより「人間」に対して肉薄している。
また、そもそも五輪がナチの国威発揚大会であり、映画もプロパガンダとして利用されている。
スタジアムの貴賓席にいるヒトラーは何度も何度も画面に映る。
彼が自国選手の活躍に手を叩いて喜んだり、金メダル候補の女子400メートルリレーの最終走者がバトンを落とすと落胆したりする無邪気な様子も記録されている。
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さて、ここで、好きな映画をもう一本紹介したい。
現在公開中の、ベルリンオリンピックの陸上競技で金メダル4個を獲得したアメリカの黒人選手ジェシー・オーウェンスを描いた「栄光のランナー/ 1936ベルリン」だ。
監督:スティーブン・ホプキンス 出演:ステファン・ジェームス ジェイソン・サダイキス ジェレミー・アイアンズ ウィリアム・ハート他
貧しかった選手が大舞台で活躍するという娯楽作品でありつつも、黒人やユダヤ人に対する差別という重いテーマを内包している。
主人公はアメリカとドイツから二重の差別を受ける。彼は大会に参加すべきか悩むが、「走る10秒の間だけ自由になりたい」と参加を決意する(その葛藤がこちらにもよく伝わる)。
金メダル4つを取って国家に貢献しても、ラストで描かれるように社会の差別は依然として続く。驚くしかなかった。しかし、主人公の人生を私なりに受け止めたからだろうか、見終わってずしりとした充実感があった。
技法的には、何と言っても、主人公が競技場に入り、新品の靴を履き100メートル決勝に臨むシーンの長回し撮影が素晴らしい。10万もの観客が熱狂する中で興奮と昂揚と緊張が混交する。
監督レ二・リーフェンシュタール、宣伝大臣ゲッペルスなどの人物像も興味深い。また、ドイツの走り幅跳び選手がオーウェンスに示した人間的友愛行為の話が美しくも哀切。
※「栄光のランナー」画像は「映画.com」より http://eiga.com/movie/84402/
(by 新村豊三)