今年のノーベル文学賞は日本出身英国人作家のカズオ・イシグロ氏に決定した。私と同じ年でしかも出身地が長崎なので、九州出身の私は勝手に親近感を抱いていた。氏の映画化作品は2本見ている。1993年日本公開の「日の名残り」と2011年の「わたしを離さないで」である。
まず「日の名残り」だ。広大な家屋敷を持つ英国人貴族に長年仕えた執事が、その死後それを継いだ米国人の主人から休暇をもらい、以前一緒に働いた元女中頭に会おうとして、数日間車の旅を続けていく。
映画は執事の人生の回想と、現在(1956年)の英国南西部の車の旅が交互に進んでいく。
大戦前に欧州各国の有力な政治家を招待して国際会議を催すような大貴族の館の生活が垣間見られ大いに興味をそそられる。例えば、主人に提供する新聞にアイロンを当て皺が出来ないようピシッと延ばしたり、晩餐会のテーブルの食器の位置を物差しで測って正確に置く。そんなディテールの描写がこの映画では印象的で、これが古き良き時代の英国文化かと思う。
執事に扮したアンソニー・ホプキンスの演技が素晴らしい。晩餐会の最中に父親が重篤な状態になるが看病することもないし、訃報を知らされる時も手に接客のアルコールの瓶を持ったままである。気の毒と言えるほど、黒子としてのプロに徹する執事を見事に演じている。
本人はこの仕事に誇りを持っているようだが、政治的な意見などは求められても絶対に言わないし自分のプライベートな感情(たとえば恋愛感情)を表に出すことはない。そこが、私には些か朴念仁に映り歯がゆくもあるが。
映像は品格と威厳があり、演出も堂々とした作品だが、ラスト、20年ぶりに再会した女性との関係の描き方に私は若干不満が残っている。実は、この女性とはお互い惹かれあうものを感じていながら、それを伝えられずに別れてしまっている。二人の感情がもう少し繊細に描かれていたらもっと良かったと思う。今回24年ぶりに見直したがやはりそう感じてしまった(女性役のエマ・トンプソンがあまり好みの女優ではないというのも影響しているか)。
イシグロ氏の作品の映画でもっと好きなのは「わたしを離さないで」だ。
SF的設定の、将来臓器提供を行うために寄宿舎で生活し育てられているクローン人間たちの話である。クローンと言っても普通の人間と変わらないし、自分の宿命も知らされていない。ある時、寄宿舎を抜け出し外の広い世界を見てしまう・・・、という展開になる。
子供たちの一人、泣き顔が印象的なキャリー・マリガンのファンなので見た時にものすごく切ない、エモーショナルな気分になったことをよく覚えている。
実はこれも「3.11」の震災後の4月上旬に見た映画なので、普通とは違うメンタルの状態が影響したのかもしれない。
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さて、好きな映画をもう一本!
日本人二人目のノーベル文学賞受賞者大江健三郎氏原作の「飼育」という映画を御存じだろうか。監督は大島渚で1961年の作品。
戦争中の昭和20年夏、爆撃をしていたアメリカ軍のB29がある山村に墜落する。乗組員は助かるものの、村人が獣用の罠にかかった彼を保護する。彼は黒人で、村人は外国人ましてや黒人を見たことがないが、憲兵に命じられて彼を黒んぼと呼んで小屋に軟禁し「飼育」することになる。
彼を巡って、地主を始めとして醜くいやらしい日本の農村共同体の姿が現われていく。正直前半は散漫な感じがするが、後半は画面に惹きつけられる程面白い。
黒人兵の「飼育」は衝撃的な結末を迎えるが、村人が黒人兵等に関して行ったこと一切合切を「なかったことにしよう」と了解してしまう展開には唖然とし、かつ恐怖感を覚える。戦前、日本の至る所で「非論理的解決思考」を取ることが多かったのではないか。今の自分にもそんなところがなくはないかと考える。
ラスト近く、埋葬される棺から捉えた村人たちの顔のショットが映り、その後、棺に土を掛け続ける何人もの手が長回しで映る。棺はいつしか見えなくなる。この異様で緊迫感あるショットは強烈な印象を残す。大江もスゴいが、大島もスゴい。大島映画の最良の一本。
(by 新村豊三)