今年を代表する作品になりそうな日本映画の力作を見た。寺山修司原作、何と前編・後編の2部作で計5時間4分の「あゝ、荒野」という映画である。
一言で言うと、新宿の片隅に暮らす若い男と若さをやや過ぎた男が一緒にボロのジムでボクシングを始め、二人が最後に試合で相まみえるボクシング青春映画だ。
原作は50年前に書かれているが映画の設定は、2021年すなわち2020年東京オリンピック後の近未来に変えてある。
映画の見どころは幾つもあるが、まず、このダブル主演を演じる若い菅田将暉(すだまさき)と、少し年上のヤン・イクチュンが共に素晴らしい。
菅田が演じる新次は少年院上がりで、親に捨てられた過去を持ち、復讐したい相手がボクシングをやっているのでボクシングを始める。リングネームは「新宿新次」。菅田は全編きらきらするような若さと躍動感に満ちている。一方で敵を「ぶっ殺す」と叫ぶ凶暴さも持ち合わせる。お見事。この映画で若手俳優陣のトップに躍り出たように思う(これから公開の「火花」の演技も楽しみだ)。
もうひとりの建二は新次の友人で日韓のハーフである。彼は吃音を持ち、寡黙で自分に自信がなく、重いパンチを持つものの生来の心優しさのため勝負に徹しきれない。床屋で働いているのでリングネームは「バリカン建二」(実にうまいネーミングだと思う)。この建二を演じたヤン・イクチュンは実は韓国の映画監督で俳優でもある人物なのだ。
このヤン・イクチュンもとてもよく、私は映画を見ながら彼が演じる「バリカン建二」に久々に感情移入をしてしまった。いい奴なのだ。彼は、何と初戦の相手を見に行ってしまう。相手は八百屋を営んでいて、可愛い妹もいる。挨拶までして、怪訝に思う相手から「帰れ!」と言われてしまうのだ。
実際にあまり日本語が上手くないヤン・イクチュンが、映画では吃音でうまくしゃべれないという建二の設定にぴったりなのだ。
もうひとつ、この映画の魅力は拳闘シーンが実によく撮れていることだ。拳闘シーンで菅田もヤンもその他のボクサーも本当に殴り合っていて迫力がある。役者はよく演じ切ったと思う。見ている私は闘いの本能が湧き出るのか見ていて「血が騒ぐ」という感じを久々に味わった。きっと、ボクシングと映画は相性がいいのだろう(幾つもボクシング映画の傑作が思い浮かぶ)。
まだ好きなところがある。脇の人物もいいのだ。特に男優がよく、人間臭く存在感ある人が沢山出てくる。高橋和也、でんでん、ユースケサンタマリアとてもよかった。思い出しても、いい味が出ていたなあと思う。
正直に書くと、この映画には若干の不満もある。近未来の設定にしているので、二人のボクシングを巡る本筋から離れた、ある団体の話が進行していく。これがあまり本筋に絡んで来なく、無くもがなという印象を持った。しかし、全体として邦画の力作であることは間違いない。
さて、好きな映画をもう一本!
ヤン・イクチュンは監督としてもいい作品を撮っているのだ。彼は韓国インディー系の監督だが、彼が2010年に監督した「息もできない」は、長いキネマ旬報の歴史の中で初めて韓国映画が洋画部門のベストワンに輝いた作品である(それまでは、最高で04年度の「殺人の追憶」が2位、06年の「グエムルー漢江の怪物―」が3位、09年の「母なる証明」が2位であった)。
この作品の原題は何と「糞バエ」である。これを「息もできない」と邦題をつけた人は相当にセンスがあると思う。1960年に、フランス語原題が「息せき切って」である映画(監督ゴダール)を「勝手にしやがれ」と邦題を付けたセンスに匹敵するのではないか。この「息もできない」の上映館は、今は無き渋谷の「シネマライズ」だった。
これは現代のソウルで下層の生活を送っているヤクザなアンちゃんと女子高生の純愛を描く映画だ。ヤン・イクチュンは監督するだけでなく、自らこの主役のアンちゃんを坊主頭で演じた。ソウルを東西に流れる漢江のほとりで、いつもは強がっている彼が女子高生の膝枕に頭を乗せて泣くシーンの切なさは忘れられない。
(by 新村豊三)