映画雑誌等で日本のベスト女優の投票を行うと決まって上位に来るのが吉永小百合だ。
時には1位になる(他に上位は原節子、高峰秀子など)。
敗戦の年の昭和20年生まれで、今年73歳になる。今も、若く美しく誠実な印象は変わらない。彼女は幼少の時から芸能界で働いている。作家の関川夏央さんが書いておられるから暴露ではないが、父親は外交官だったが、人間関係が苦手で辞めて印刷屋を開いたものの商売が上手く行かず、彼女が働いて生計を支えた。若い頃の健気なイメージはここから生まれたのではなかろうか。
高校を卒業し早大の第2文学部に進学。確か4時から授業が始まる夜間の学部である(現在はない)。仕事が忙しく向学心はあっても昼間の大学には行けなかったのだ。
劇作家・俳優の野田秀樹が20年ほど前こんなエッセイを書いていた。彼が中3の時,通う渋谷区の区立中で通知表をもらう時、担任の先生が「今回、野田君がオール5だった」と皆に告げた(野田氏は東大法学部卒)。得意満面でいると先生がこう続ける。「この学校で二人目だ。最初は吉永小百合さんだ」。野田秀樹はがっかりしたけど、彼女を尊敬した、と書いていた。吉永小百合は優秀だったのだ。だから映画の中でも優等生みたいな感じがあるのだろうと思う。
さて、50年以上映画の活動を続けている割には優れた作品は多くないのではないかと思う。若い頃の作品はそんなに見ているわけではないが、大体見ているここ30年の作品で秀作というのは2005年の「時雨の記」、2015年の「母と暮らせば」位しか思い浮かばないのだ。スミマセン。それでも人柄と、後で述べる名作で高い人気を誇るのだろう。
さて、120本目となる新作「北の桜守」だ。スケール大きな力作だが、残念ながら惜しい点も多々ある。
昭和20年8月の終戦の後、南樺太にソ連軍が侵攻してきたために、吉永扮する母親が幼子を連れて避難し、戦後網走で貧困の生活を送りながら子供を育てる。46年に米国から息子が帰国し札幌にコンビニ店を開き、その経営に奔走する。母親には記憶障害が現われ二人で過去を辿る旅に出るという筋立てだ。
避難する船が魚雷に攻撃され悲劇が起こった過去の出来事を吉永が思い出す場面は、現在とカットバックされて見事なシーンになっている。吉永も海を泳ぐシーンもあり熱演している。
ラストの直前、痩せて白髪になった彼女が登場するが、その時我々も彼女の長い半生を共に生きたような感慨を持つ。
惜しいのは、親子の話なのに息子の仕事の話の比重が大きすぎることだ。他にも詰め込みの感がある。
演出として面白い実験がしてある。途中、何回か、演劇の舞台になるのだ。ソ連軍の攻撃の場面などだが、シンプルで抽象的であるからこそ効果が上がっていると思われる。
さて、好きな映画をもう一本!
もちろん、名作中の名作「キューポラのある街」だ。62年、彼女が17歳の時の作品だ。鋳物で知られる埼玉県川口市を舞台にしている。キューポラとは、小型の溶鉱炉である。
この映画を今は無き銀座の並木座で40年ほど前に見た時のことは忘れられない。まさに自分が生きた少年時代の日本の姿―人々、風景、風俗、時代の精神など―が映っていたからからだ。
吉永は工場に勤める昔気質の職人の長女ジュンを演じている。性格は明るく成績も優秀、運動も得意だが、父親が失業したので、定時制高校に進学する。ひたむきで健気で希望を捨てず前向きに生きるジュンは当時の日本人のシンボルと言えるのではないか。
弟がいて、弟には在日朝鮮人の友がいる。この少年たちが実に生き生きとしていて生命力溢れる存在であるのがいい。やんちゃだが、牛乳配達の牛乳を盗んで飲んでしまい、配達の少年に泣かれてしまって、良心の咎めを感じる場面などとても好きだ。
幼い友は、当時の北への帰還運動で一家を挙げて北へ帰ってゆくことになる。去り行く列車に向かって、沢山の人が頑張れ頑張れと旗を振って見送るシーンも覚えている。全て、この時代の記録になっているが、帰国した人々のその後の行く末を思うと胸が痛む。
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(by 新村豊三)