常々、韓国映画は応援しようと思っている。まして、日本人にあまり知られていない現代の重要な事件を描く作品なら尚更そうである。
1980年5月に起きた「光州事件」をご存知だろうか。79年に朴正熙大統領の軍事独裁政権が彼の暗殺で突然幕を閉じた後、彼を引き継いだ軍人全斗煥大統領の時に光州市(南西の地方都市)で起きた、民主化を求める市民のデモに対して軍隊が出動し百数十人を虐殺した、韓国現代史の汚点ともいうべき悲劇だ。その後87年に民主化が宣言され88年にはオリンピックが開催され先進国の仲間入りをするが。
何も偉そうに述べるつもりは全くない。今でこそ数百本の韓国映画を見ており、ソウルには親しい友人がいる自分も、当時、この事件を含めて韓国のことは全く知らなかった。全くもって恥ずかしい限りだが、大方の日本人がそうであったと思う。オリンピックまで何だか「怖い、汚い、危険」の3Kのイメージがあったのだ。そのイメージを打ち破って蒙を啓いてくれたのが関川夏央氏の名著「ソウルの練習問題」だが、今はこの本について詳述する余裕はない。
光州事件は韓国現代史を理解する上で重要だ。10年ほど前に光州を訪れた時、「国立5・18民主墓地」を見学したこともある。墓地内の建物の中に殺された人の遺影が並べられていた。中には高校生、妊婦さんもいたと記憶する。
さて、現在公開中の韓国映画「タクシー運転手~約束は海を越えて~」だ。昨年公開され1200万人という歴代映画の観客動員数の8位に来る大ヒットを飛ばし、最高の映画賞である大鐘賞を受賞した作品だ。
ソウルの運転手が大金をもらえるというので、光州の事件を取材しようとソウルに来たドイツ人記者をタクシーに乗せて運び、取材後にまたソウルへ連れ帰ろうとする話である。
運転手をソン・ガンホが演じる。男やもめで娘思い、ちょっと調子がいいが根は善良な庶民役を上手く演じている。
前半は彼のユーモラスな言動で劇場には何度も笑いの渦が起きるが、光州の中に入って行くと映画のタッチも一変する。市民たちが理不尽な暴力を受けるシーンが相当リアルに描かれていく。
映画の見どころは、運転手の心の葛藤だ。早く小さな娘のいるソウルに帰りたいという情と、ドイツ人記者に協力して同胞の悲劇を報道すべきではという人間としての誠実さの間で迷うのだ。ソン・ガンホがそれを表情で描き出す。
しかし、だ。正直に言うと、3分の2を過ぎたあたりから些か心が離れていく。地元のタクシー運転手たちも軍隊に対して必死の抵抗を示すのだが、その描写が普通を越えていて、派手な娯楽アクション映画になってゆくのだ。惜しいなあと思う。
私が天邪鬼だからではないと思う。派手なカーチェイスなどの娯楽の要素を入れることで、それまでの普通の人の懸命で必死な思いが段々崩れていってしまうのだ。
ここに言わば韓国映画の限界を感じてしまう。これは07年の「光州5・18」という映画でも感じたことだ。この作品は軍隊と戦った光州市民にスポットを当てているが、やはりリーダーが立派に描かれすぎているのだ。
さて、苦言を呈したが、光州事件ジャンルで好きな映画を一本紹介したい。2000年の「ペパーミント・キャンディー」である。これは大人向けの素晴らしい秀作だ。
河に掛かった陸橋の上で青年が線路を迫ってくる列車に向かってゆく。そこから何と時制が遡ってゆき、亡くなった青年の過去のエピソードが一つ一つ描かれてゆく。
元々は優しい普通の若者だった彼が段々に心が荒んで行き人生や社会に絶望して死を選ぶ理由が分かる構成になっている。
その、精神がおかしくなる事件こそが、光州事件であることを観客は最後に理解するのだ。敢えて書くと、兵士として従事した若者は過って無辜の女子高校生を射殺してしまったのだ。実に痛ましい。実力派俳優ソル・ギョングが主役を演じて深い悲しみが伝わってくる。
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(by 新村豊三)