今年のアカデミー作品賞は「グリーンブック」であったが、監督賞はメキシコ人監督アルファンソ・キュアロンが受賞した。彼が監督したのはネット動画配信サービス会社「ネットフリックス」製作の「ROMA/ローマ」という作品だ。
ネット配信映画は原則として劇場公開を行わず(条件が揃えば劇場公開することもある)、会社と契約を結んだ契約者が自分で選択して、何時でも何処でもパソコンやスマホ等で映画を見られるシステムだ。世界に1億3900万人の有料メンバーがいるとの由。
世界の映画祭では、カンヌ映画祭は配信映画を受賞の候補作に入れることを拒否し、ベネチア映画祭ではそのまま受け入れてこの映画に金獅子賞を与えている。日本ではアカデミー監督賞の受賞決定後、全国のイオンシネマのみが急遽上映を始めて、その後シネスイッチ銀座などで公開が始まるようになった。
私はイオンシネマ板橋でこの映画を見たが、今年のベストワン候補にしたいような優れた作品だった。こんないい作品なのに観客がまばらだったことが寂しい。また、買い求めたいと思ったパンレットも作られていなかった(準備する時間が足らなかったか)。しかしながら、興行を度外視して(?)よくぞ上映してくれたと思う。
さて、この作品だ。「ローマ」と言ってもイタリアのローマではない。監督は首都メキシコシティで生まれ育っているが、裕福な家族が暮らす地域がローマと呼ばれる地区なのだ。1970年代、医者をやっている裕福な家庭に住み込み家政婦として働いている先住民の若い女の子クレオを巡る話である。クレオは休みなく忙しく立ち働いているが、4人の子供たちにはなつかれている。
モノクロ画面で淡々と繊細に描かれる。映像の光と影の煌めきがいいし、鳥の声、波の音、通りを歩いてゆく研屋(とぎや)の笛の音など、聞こえてくる音までがいい。
ゆっくりとした展開から徐々に物語が動いていく。家のご主人は出張に行った後、愛人を作り家に帰ってこなくなるし、クレオは男友達と付き合い妊娠してしまうが相手は行方をくらませてしまう。
クレオがベビー用品を買いに行くと市民同士が政治問題で対立していて、デモを行っているグループが突然武装集団に襲われる。彼女はその騒ぎに巻き込まれてしまい、目の前でデモ参加の男性が射殺されてしまう。ネタバレになるがそのショックで産気づいてしまう……。
監督は自分自身の面倒を見てくれた乳母を描くためノスタルジーを込めてこの映画を作ったと言っているが、そんな事情を知らない私は、ノスタルジーと言うより、洋の東西を問わず昔から繰り返される、女性が男たちの身勝手さに苦労させられながらもそれを受けいれて前向きに生きていく映画と受け取った。それゆえ、日本の溝口健二監督の「西鶴一代女」や今村昌平映画の逞しいヒロインを想起した。
しかしこの映画は内容もさることながら、描き方、技法の素晴らしさを絶賛すべきである。横移動も含めた長回しの撮影がいい。見ているうちに自分がそこにいるかのような感覚を持つシーンが幾つもある。最良の例を挙げると、ラスト近くの子供たちが遊ぶ波打ち際のシーンだ。旅行中訪れた海辺で子供たちが波にさらわれそうになる。ここ何十年か見てきた映画の中で、最も画面に釘付けになったシーンと言っても過言ではない。あんなに大きくうねる波を見たことがない。怖かった。映画館の座席のひじ掛けを両手で固く掴んで、悲劇が起こらぬことを祈ったほどだ。
好きな映画をもう一本挙げるスペースが無くなってきた。監督は「ゼロ・グラビティ」(2013)というSF映画を撮っている。宇宙空間に出た宇宙飛行士サンドラ・ブロックが宇宙船の事故で地球に帰って来られなくなる。その事態に一人でどう対処したかをリアルに描く傑作。
近未来のスケール大きな宇宙SF映画と70年代の市井の人を描く静謐なモノクロ映画。極端に違う題材をそれぞれ魅力的に撮った監督は、今後の活躍が期待できる大きな逸材だと思う。
(by 新村豊三)
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