世は再びの緊急事態宣言下となり、私のような高齢者は都心の映画館に行くのはやはりためらわれ、家で配信などを使って古い映画を見始めた。すると、ヒッチコック映画がとても「ステイホーム」に合うことが分かった。
「サスペンス映画の神様」と呼ばれるアルフレッド・ヒッチコックの映画は、映画の古典であるし、良くも悪くも「社会性」がないので見ていて辛くなることもなく、リラックスして見られる。気楽な気持ちで見始め、いつの間にか作品の中に引き込まれてしまう。あまりに面白くて日に5本見たこともある。言わば、口当たりよく美味しいお酒をスイスイっと飲み、芳醇な気持ちになるようなものだ。しかも「飲みすぎ」もないので、4本、5本といけてしまう。大吟醸もある。尺がそんなに長くないのもいい。短いのは70分、80分という作品もある。
ヒッチコックは英国人だが、アメリカに40歳の時に渡っている。英国時代の諸作の中で見ていないものがあったので、この自粛期間に見てみたらとても面白く驚いた。「映画」として古びておらず、むしろ、派手な演出の多い現代の映画と比べて、純粋に「映画」として輝いている。
沢山見たが一番面白かったのは1938年のモノクロ作品「三十九夜」(原題「39階段」)だ。ヒッチコックの特徴が確立した映画とされているが、若い男がある犯罪に巻き込まれる展開、加えてユーモアがあり、奇麗な女性との恋物語が進むという点で、確かにそうであろう。
簡単にストーリーを言うと、カナダから来ている男が殺人を含む犯罪に巻き込まれ、ロンドンからスコットランドへ渡り、逃走の過程で知り合った若い女性と共に、事の真相を知り事件を解決しようとする。
よくこんな面白い話を考えたと言いたいくらい、ハラハラするストーリーがテンポよく進む。次から次に難題が降りかかるが、上手くかわして行くのがとてもいい。無駄な演出がない。後半は、女性と共に行動するのだが、何と二人は手錠で手をつながれてこれを外せない状態になる。誠にユニークなり!
随所にユーモアがあり、人間味があるのもいい。(一つだけ、具体例を挙げる。一緒に泊まる宿には、新婚だが駆け落ちだとウソを言うと、宿の御主人の年取った妻がそれを信じ込んでくれ、それで窮地を脱する展開がある)そして、モノクロの黒と白で織りなされる映像がいい。まだサイレント映画のタッチが残り(長編のトーキー映画は1927年に始まった)、時に夢幻的、神秘的な雰囲気がある。ともかくこれは本当にお勧め!
さて、好きな映画をもう一本!
2016年末に「ヒッチコック/トリュフォー」という記録映画が公開された。1968年にフランスの批評家・監督であるトリュフォーがハリウッドに出かけていき、1週間程を掛けて、ヒッチコックに、演出した作品全作について、詳細に聞いていく対談を映像に収めたものである。言うまでもないが、この対談については、日本でも「映画術 ヒッチコック・トリュフォー」というタイトルで翻訳本が出ている(81年晶文社刊 山田宏一、蓮實重彦訳)。
二人の生の音声が聞けるのは貴重である。また、「私は告白する」「間違えられた男」「サイコ」「鳥」など、引用される映画がナマナマしい鮮烈な印象を与え、まだ見ていなかった映画を是非とも見たいと思ったものである。
映画には、ヒッチコックに影響を受けた監督が何人も登場し、その影響やヒッチコックへの愛を語るのがいい。因みに監督とは、アメリカのマーティン・スコセッシ―、フランスのオリビア・アサイヤス、日本の黒沢清などだ。
ひとつ、面白話をしたい。その本の中で「サスペンス」と「サプライズ」の違いがヒッチコックによって語られる有名な個所がある。爆弾を使って説明されるが、突然爆弾が爆発しても、その「サプライズ」は少ししか続かないが、観客が、爆弾が爆発することを知っていると、爆発するまでハラハラドキドキの「サスペンス」が続いていく、というものだ。
私は英語版を持っているのだが、その英文が1990年の大学入試の読解に使われたことを、当時入試問題集を解いている時に発見して驚きかつ嬉しく思ったことがある。映画好きの先生が出題されたのだと嬉しく思ったが(神戸大、さすが淀川長治の出身地だ)、今なら、内容を知っている受験生が有利になると批判されるのだろうなあ。
思えば、30年前はギスギスしないで大らかで、いい時代だったと思う。
(by 新村豊三)