何とも曰く言い難いコロナの状況が続く。未だ日本はワクチン接種が人口のほんの数パーセントでしかなく、先進国の中では最低だ。そんな中、3回目の緊急事態宣言で、都の大きな映画館は休館。演劇や寄席はいいのに、なぜ映画館はダメなのだろう。皆、黙って、マスクをしてスクリーンの方を向いて座っているだけなのに。
劇場で見たい新作はあるものの、今日も、配信や借りてきたDVDを見ることになる。
今回は、家で見た中で面白かった邦画2本を紹介したい。
一本目は、1977年(昭和52年)の「悪魔の手毬唄」。何で今頃こんな映画をと、思われるかもしれないが、正直に言うと、未見でした。学生時代、金が無くて十分映画を見られなかった。
実は、私は、こういう推理モノが苦手である。沢山の人物が出てきて、途中で人間関係が分からなくなってしまうことが多い。それで、正しい映画の見方ではないと分かりつつも、文明の利器たるスマホを使って、時折、映画の画面を止め、スマホの情報で人間関係を確認しながら見ていった。
するとストーリーが正確に分かり中々面白かった。
昭和27年、岡山の因習的で貧しい何もない村が舞台。退職した磯川警部(若山富三郎)に請われて、東京からやってきた金田一耕助(石坂浩二)が20年前の未解決殺人事件の推理をする話だ。
戦後直後の雰囲気を色濃く出していると思われる、暗い陰影の家屋の内外を映す撮影がいい。暗い画面を反映してか、事件の背後には、後の韓国ドラマに負けないドロドロした愛憎があり、びっくりする。殺人に関係した男が、若い頃4人の女性と関係を持ち、生まれた4人の子供が成人して結婚しそうになるというのだ。
かと思えば、時折入る絶妙なユーモアも面白い。神戸の映画館の館主三木のり平など、とぼけていて、奥さん役の女性ともども笑ってしまう。重要人物が弁士をしていて、当時の映画(「モロッコ」など)の映像が挟まるのもいい。
女優では、岸恵子がとても良い。濡れたような声を持ち、美しく、演技も的確だと思う。彼女に想いを寄せる若山富三郎も繊細な演技をする。
邪道であるが、スマホを参照しながら映画を観るのも悪くないと思う。
次は、これも1977年の作品「竹山ひとり旅」だ。脚本・監督の新藤兼人は100歳まで生き、生涯にわたって映画を撮り続けた映画人で、「愛妻物語」「裸の島」など秀作が多い、尊敬する映画人である。初めて見たのだが、この映画は誠に素晴らしかった。こんな映画があったか、もっと早く大画面で見たかった。
盲目の津軽三味線奏者高橋竹山の半生を描いたドラマである。冒頭、渋谷ジャンジャンの演奏会場で観客を前に、竹山本人が、演奏をしながら、自分の人生を語ってゆく。小さい時に、はしかに掛かり、目が見えなくなってしまったことが告げられる。そして、映画はいつしか、故郷青森小湊の雪深い寒村に移っていくのだ。
母親の決断によって、近くに住む同じ盲目の奏者の下に弟子入りし、厳しい修行を始めることになる。成人した竹山を林隆三が演じる。
自然の風景が厳しくも美しい。撮影が見事だ。竹山は一人雪の道を歩き、民家の前で、演奏しては幾ばくかのお金や食べ物を恵んでもらう門付けを行いながら流離っていく。人々には「ボサマ」と呼ばれている。
東北の地図が映り、海辺の町を歩き森の中を歩き、三味線をかき鳴らし放浪していく行路が示される。大変な距離だ。
道すがら、今はもう職業として無くなってしまった浪曲などの芸人や、飴売り等が登場するのがとても興味深い。
この映画、貧しく厳しいネガティブな印象だけでないのがいい。殿山泰司という名脇役の俳優が、経済的余裕のある芸人として登場し、林隆三と旅をする。これが貧しい金のかからぬ生活だが、誠に人間的、明るく自由を謳歌するような生き方をする。例えば二人は、海辺の小屋で寝泊まりするが、朝飯は、ご飯と豆腐の味噌汁だけ、それを包丁もなく木切れ、板切れで切って(!)料理して旨そうに食う。そして嬉しそうに朝焼けの海に飛び込む。人間の逞しさや大らかさを感じてしまう。
竹山は2度結婚しており、そこがリアルに描かれるのもいい。スペースがないが、母親を演じた、新藤兼人の実質的妻であった乙羽信子もいい。
(by 新村豊三)