今年心に残った本の中に、上野千鶴子さんが書いた「在宅ヒトリ死のススメ」(文春新書)がある。
上野さんは、医療とケアの体制がかなり進んでいるので、一人でも自宅で不安なく死ねる、と言う。例えば、終末期でも本人の計測モニターが病院と繋がれて対応してもらえるそうだ。本には、家で暮らしながら一人で死を迎える心構えや準備が具体的に書いてある。費用がいくら掛かるかまで(!)情報がある。目から鱗が落ちることが多く、「在宅死」を願う自分もかなり安心を覚えた。
「ヒトリ死」ではないものの、長年暮らした家で「在宅死」を迎える様子を描く映画が今年公開されており、最近、やっとその2本を続けて見ることが出来た。春の公開の時はコロナのため劇場で見られなかったのだ。
まず、尼崎で在宅看取りを指導している医師長尾和弘を描くドキュメント「けったいな町医者」。
独自の医療方針で病院を運営する長尾氏は、死期の近い高齢患者を病室に縛り付けるのでなく、自宅でその死を迎えるような指導を行っている。その為、自ら車を運転して、日々忙しく患者の自宅を往診する。大病院が金稼ぎのために行うような意味ない延命治療もしない。
この長尾先生が明るいのだ。関西人のおおらかさがあって、親しみやすく、患者や家族の方と沢山話をする。ユーモアがあって暖かい人柄だ。先生は、長生きするため、「食べる」「笑う」「歩く」を行うようにと言われる。実践したいと思った。
映画のラスト15分のシーンには目が釘付けになった。先生が夜に大学の同窓会に出た後(!)、患者の家族から携帯に電話が入る。具合が悪いから家に来てほしいと言われる。車を駆って、何度も往診している団地のお宅に入って行く。ベッドに横たわり家族に囲まれた高齢のお爺さんに対して、蘇生のための心臓マッサージを施し始める(珍しいケースだが、息はしているが心臓が止まっている)。10分以上マッサージを続けながら、先生がお爺さんに掛ける言葉にグッと来た。「頑張って。ほら、お母ちゃんにありがとうと言うて」。おじいちゃんはその後息を引き取るが。
この方は商店街で、「お母ちゃん」である奥さんと豆腐屋を何十年と営んできた方である。人は、自分の生をしっかり生きてしっかり死んでいくなあという、当たり前ではあるが、その事実の重みに感銘を受けた次第だ。
こんな実践を他の医者も始めれば日本の状況は変わるのではないか。先生は、タイトルにある「けったい」ではなく、「たっとい」町医者だと思う。
好きな映画をもう一本! この長尾医師の本が原作の劇映画が「痛くない死に方」だ。若き医師(柄本佑)が幾つかタイプの違う「在宅死」を経験して成長していく。
最初の「在宅死」描写には驚いた。大病院に勤務するやる気のない柄本が在宅の肺がん患者を受け持ち、通り一遍に対応する。患者が苦しみながら死んでゆく延々と続くシーンには目をそむけたくなった。こちらも在宅死を願っているのに、こんな風になるならかなわんなあ、と。
後半、柄本は先輩の医者(長尾氏がモデル 義父である奥田瑛二が演じる)と出会い、大病院も辞めて、彼の指導を得て別人のようになる。
「けったいな町医者」でも登場した「点滴は打たない」などの方針が実践される。印象的だったのは、在宅医に何が一番大事かという問いに奥田が答える「人間が好き、ということだろう」、「臓器を見るのでなく、人を丸ごと見る、ストーリーを見る」という言葉だ。
やがて、肺がん末期患者(宇崎竜童)の担当になる。大工の宇崎と大谷直子の夫婦は全共闘世代らしく、マイペースで人生を生きて来たようだ。柄本と余貴美子演じる看護師の2人と、この夫婦の関係が面白い。一緒に花火を見ながら酒を飲んだりタバコ吸ったり、自然に生きて行く(「在宅」ならではだ)。最終的に亡くなるが、死は敗北ではなかった。最後まで自分の生を生き切ったということが伝わる。ここが映画の白眉だと思う。
時折、夫が「病人川柳」をノートに記し、その文字がスクリーンに大きく出る。最後は「ただいちど うわきしました ゆるせつま」(「つま」とは妻)。鉛筆を持つ手にも力が入らなく、ひらがなになっている。大谷が読んで呟く「墓場まで持っていけばいいのに。分かってましたよ」の名文句にもグッと来た。
大工だったので、仲間たちが葬式で高らかな木遣り唄で送るのも良かった。
(by 新村豊三)