6時間17分の長編ドキュメント「水俣曼荼羅」

正月3日、渋谷の映画館で原一男の新作記録映画「水俣曼荼羅」を観た。372分の作品で、料金は一律3900円(シニアなら3本分)。第一部から第三部まであり、途中2回20分ずつの休憩が入った。

「水俣曼荼羅」監督:原一男 構成:秦岳志

「水俣曼荼羅」監督:原一男 構成:秦岳志

シリアスで重い映画だろうと思っていたが、患者さんの生活や人となりが、ゆっくり、まったりと描かれて映画は「ゆるく」展開してゆき、見る前「水俣病」「裁判」という言葉から連想された深刻さや緊迫感がそれほどない。
見終わって思うのは、ゆるい展開がよかったということだ。これがあるから、患者さんをより深く理解して、応援と言うか肩入れしたくなっている。映画にはユーモアがあり、人間味が滲み出ている。無論、一方で、腹が立ち、絶望感を持つ。
何せ20年に渡って断続的に撮っている映画だから、沢山の情報がある。最高裁まで争われるものも含めて沢山の裁判が描かれる。その中で患者や支援者なども一様に20年の歳月を顔に刻み込んでゆく。

この映画で分かったのは、初期の頃、患者認定の判断基準として出た「52年判断基準」が医学的に正しくなく、最近の裁判で訂正されたということ。また、210万円で県と和解した患者もいれば、あまりにも安いので和解しない患者もいるし、患者として認定されない方は今でも裁判で闘っている、という事実。そもそも、何で加害者の国や県がエラソーに、患者として認定するのだろう。第三者がやるべきだろう。

憤りを覚えるのは、国と県の対応だ。県のトップである蒲島郁夫知事には本当に失望した。東大教授からの転身でリベラルかと思っていたが、患者と誠実に向かい合わない。判決が出て患者グループと話し合いの場を持つ時、1回目は政治資金パーティに出かけてしまい患者を無視する。2回目は、私は「法定受諾事務執行者」ですから、としか言わない。つまり、国の決定に従うことしかしない、ということだ。患者を救うために国と闘う姿勢など微塵もない。

熊本のテレビ局に長年勤めて報道記者をやっていた私の友人は言う。厚生大臣、あるいは総理が変わらない限り、水俣病の問題の改善はないだろう、と。いや、では、その総理の姿勢を変えるのは誰かと問えば、私たち国民の一人一人だろう。しかし、昨年の選挙の結果を見ても、国民の政治意識は低いままだ。暗い気持ちになる。

昨年「MINAMATA―ミナマター」を紹介する際に、石牟礼道子の「苦海浄土」の素晴らしさに触れたが、この映画の中で彼女が少しだけ登場する。亡くなる数か月前のお姿だが、嬉しかった。彼女はパーキンソン氏病で小刻みに体が揺れるが、「もだえ神」になるしかなかとです、と言う。「もだえ神」になるとは、患者の苦しみを思い、悲しみ、一緒に祈り、一緒にいてあげようとする姿勢を持つことだ。私も、せめて、そうありたいと思う。

さて、この映画は、水俣病に関して暗い側面だけを描いているわけではない。「曼荼羅」絵のごとく、印象的な人たちが、様々に、豊かに人間臭く描かれている。そこがこの映画のいいところだ。
何人か挙げたい。熊本大学の医者浴野(えきの)先生。脳の研究者であり、彼が水俣病像の改正に貢献されたのだが、いつもニコニコしている。先生は物としての「脳」がお好きなようだ。もらった脳を容器に入れて、淡々と電車に乗って運ぶシーンには驚いてしまった。同じく熊大の二宮先生。集会で男泣きされる所はグッとくる。
患者の生駒秀夫さん。第二部の前半、延々と、患者である生駒秀夫さんの生活が描かれる。この生駒さんが、新婚旅行先の温泉に行き、浴衣を着てくつろいで、夕飯を取りながら、奥さんと出会った時の話をするシーンははとても良い。「(結婚出来て)もう、嬉しくて、嬉しくて」と語る、あの純朴さ、心根の良さ、正直な気持ちの吐露にジーンと来た。この御夫婦を見ていると、この映画が、男と女が理解し支えあう「夫婦愛」映画に見えてくる。今も、指先が震える症状がある患者さんだが、本当にこの方は印象に残る。映してもらって良かった。
坂本しのぶさん。すぐ男の人を好きになっちゃうところにはびっくりしたが、それを優しく受け止める男性たちは大人の対応で偉いなあと思った。

最後に。どろりとした不安を抱いた個所もある。死んだ魚やヘドロはコンクリートで固められて、水俣湾に埋め立ててある。しかし、ある研究者は腐食が始まっていることを示した。将来に禍根を残さないか心配だ。

(by 新村豊三)

ホテル暴風雨にはたくさんの連載があります。エッセイ・小説・マンガ・育児日記など。ぜひ一度ご覧ください。<連載のご案内> <公式 Twitter