現在公開中の「哀れなるものたち」は、破天荒で無茶苦茶面白い、中々類例のない快作、怪作、傑作。予備知識なしで見るのが一番いいと思う。面白さは保証します。よって、どうか先を読まないで騙されたと思って映画館に行ってほしい。終わり。
と言いたいが、そうもいかないので(笑)、少しだけ紹介させていただきたい。
時代は19世紀の半ば頃、ロンドンの若い女性を巡る話。冒頭、テムズ川に身投げするシーンからスタートする。この女性は妊娠していて、一度は死んだのだが、外科医の手術で、胎児の脳を植え付けられ蘇生する。
この女性を演じているのは誰かと思っていたら、エマ・ストーンなのだ。最初は、全く分からない。眉が太い鈍くさいメーキャップをしているし、蘇生してカクッ、カクッと歩く。途中、全裸になって、バックでセックスするシーンも出てくる。
何だぁこの映画は、と思って観ていると、彼女が船に乗ってヨーロッパの都市を廻り始める。この旅で様々なことを見聞し、成長していく。抽象的な言葉も獲得する。
ドギツい、毒々しい位の青や赤の映像がスゴイ。室内の絢爛、爛熟の美術。大洋を進む船を捉えたショット、いろんな街の映像もいい。マドリッド、アレクサンドリア、パリと移動して行き、最後は金が無くなってしまい、「娼婦の館」で娼婦を経験する。その時、人間観察というか、いろんな客が来て、いろんなセックスをするのも面白い。
ストーリーは破天荒だが、男性への批判、女子の自立、などなど、現代的ないろんなテーマも垣間見えてくる。それも、ストレートにクソ真面目に打ち出していない。そこがいい。ただのハッタリ映画、見世物映画かも知れんという感じも残る。死んだ女に胎児の脳を移植するなんて、まずあり得ないからなあ。でも面白いからいいのだ。
この映画、何と言うんだろう、ブラックな大人の絵本、大人の玉手箱、大人の童話か。
話も演出も面白いが、やはり、主役がエマ・ストーンだからこそ、ここまで面白いのだと思うに至る。この役は並みの若手の女優では演じられないだろう。あの、ドロドロの退廃の雰囲気は出せない。そう、ヨーロッパのドロドロ退廃、デカダンスの感じがよく伝わっていた。
最後は笑っちゃった。ここだけは、伏せておきたい。まあ、男社会への復讐の意味合いもあるのだろう、
ハチャメチャだが面白い映画だと評価している。俗な言い方だが、面白うござんした。
このギリシア人の監督ヨルゴス・ランティモス、傑作「女王陛下のお気に入り」しか見ていないが、相当の才能があると思う。異能の監督だ。また、楽しみな監督が登場した。
「哀れなるものたち」の彼女は「怪物」の一種なのだろうが、正月に見た、こちら日本映画「笑いのカイブツ」の主人公にも強烈な印象を受けた。大変な傑作だ。
実在の人物が自分のことを書いた小説が原作。人間関係が不得意で引きこもり気味の大阪の若者が「お笑い」に自分の存在意義を見出して、バイト生活を送りつつラジオの番組に8年も「ハガキ職人」としてギャグネタを投稿し続ける。若手の漫才師に認められ、彼の漫才のネタ提供者、構成作家になるべく上京する。
彼は一種の「発達ショーガイ」なのだろう、他人への「挨拶」の仕方さえ知らず、他人と良好な関係が結べない。生活のほぼすべてはギャグネタを考えることに費やされる。
主役を岡山天音が演じる。彼の成りきりというか、憑依したと言いたい演技に眼を瞠った。表情、眼つき、台詞、転び方まで素晴らしかった。唯一の女性の知り合い松本穂香、チンピラ友人菅田将暉、漫才師仲野太賀もとてもいい。
主人公の人間味あるドジぶりに思わず笑いつつ、何度も泣いてしまった。この映画は人間の、ある本質的根源的な部分に迫っていると思う。狂気ともいえる執念、本人さえよく分からない過剰なのめり込み、言い換えれば「カイブツ」的な要素を人は持っている。当人も苦しむが、周りには理解しようとする人もいる。脚本監督の滝本憲吾もこの主人公を愛しているのは間違いない。
太賀が、夜、外の道路に座りながら、岡山に人間の基本の挨拶の言葉を教えるシーンが好きだ。また、大阪の居酒屋で、客としてやってきた岡山と松本、店員の菅田が会うシーンが白眉。どん底にある岡山に菅田が言う、「地獄やなあ。でもうらやましいで。オレはお前に地獄で生きていてほしいんや」。この言葉には深く心を揺り動かされた。
(by 新村豊三)