今年邦画にドキュメントの秀作が相次ぐが、6月に観たドキュメント「正義の行方」が素晴らしかった。これは、同じ月に福岡地裁で再審請求が棄却された「飯塚事件」をテーマにしている。
飯塚事件とは、1992年に福岡県飯塚市で起きた、幼女二人が殺害され山の中に捨てられた事件のことだ。容疑者は一貫して無実を主張したが死刑が確定し、異例の早さで2年後の2008年に刑が執行され、その後弁護士団が中心になって再審を求めている。
この事件を、NHKの元ディレクター木寺一孝が、死刑囚の妻、警察関係者、新聞記者、法医学の専門家等にインタビューを行い、ドキュメントにまとめあげている。
関係者が、大変長いインタビューによく応じたものだ。それぞれの言い分や信念がある。映画は後になるにつれてどんどん面白くなり、3時間の長さを感じさせない。面白かったと言うと人が亡くなっているので語弊があるが、映画として、知的にグイグイ興味を惹くものがあり、いろんなことを考えさせる。
特に素晴らしいのは、4人登場する地元の西日本新聞の記者。中盤までは当時取材をした二人へのインタビューだが、この二人、現在は地位が高くなり、飯塚事件に引っかかりがあるため、新たに、年下の切れ者である新たな記者二人に事件を再調査させる。この二人が2年に渡り、連載記事を書いていく。当時取材した記者たちは、死刑囚への迷いと心の痛みを感じており、そこを正直に出すところが人間として良心的だ。また、出て来る4人の記者が、ヘンな言い方だが、俳優が演じているかのように存在感と雰囲気があるのだ。
見ていると分かるが、有罪の判断は状況証拠である。しかし、一番の証拠と思われていたDNA鑑定はかなり精度の低いものであること、また、鑑識によって切り取られた部分があること(そのため被告に不利)、検査に使った資料を出さない事実も分かってくる。
その他、警察が、目撃者に、被告に不利な証言をさせるよう誘導したことも分かってくる。これには心底驚く。事故現場を通った車を見た目撃者から話を聞く前に、容疑者の車を見ている。どうも、その車の特徴に合うように、目撃者の証言を誘導している節があるのだ。
最大の憤りと不信を抱くのは、そういう状況なのに、裁判所がもう死刑が執行されたからか、自分たちのメンツのためか、再審を認めないことだ。
このドキュメントは、とてもクールに落ち着いた演出をしている。また、私のような素人にも分かりやすく作ってある。恐らく膨大な素材フイルムの中から構成・編集した監督の力は中々のものがあると思う。
好きな映画をもう一本!
あの、28年前の和歌山毒入りカレー事件を検証して判決の妥当性を問う「Mommy/マミー」も一見に値する力作であった。
1998年、和歌山市で夏祭りのカレーにヒ素が入れられ4人が死亡した事件だが、報道陣に水を撒く太ったH死刑囚の映像と、マスコミが書きまくった夫などに掛けられた保険金情報で、私の記憶にも鮮明に残っている。
ところが、映画を見るとかなりその認識が変わる。監督は二つ疑義を呈する。目撃証言が曖昧であること(警察は怖い)、H死刑囚の家にヒ素があったことが状況証拠にされるが、この集落ではシロアリ駆除のため多くの家にヒ素がおいてあった事実だ。
また、当時の鑑定についても、京大の先生は、死刑囚の家にあったヒ素と死ぬ原因になったヒ素は違うと指摘する。
後半、この死刑確定囚の夫が、「保険金詐欺」を語るのだが、これには驚き唖然とした。夫婦で共謀して夫がヒ素を飲み1.5億の保険金を得た。これが成功したので、この家に出入りする若い男にも飲ませて保険金を取ろうとしている。これを夫は悪びれもせずに語る。これぞ、庶民の、金のためならしぶとく平然と何でもやる、住む世界の違う人たちだと思った。
話が逸れた。でも、それは、ヒドイと思うが、殺人事件そのものには無関係だろう。裁判の大原則で言えば、「疑わしきは罰せず」ではないか。
また、マスコミの印象操作が怖い。今の基準で言えば、「人権侵害」を犯している。その鬼女のようなイメージ作りが、我々にも、また裁判官の判断にも影響を与えていないか。
最後、粛然としたのは、娘さん・お孫さんたちの事。その悲劇は知らなかった。また、映画では説明されぬが、家も、何者かに放火されて、今はない。
東京では渋谷の単館上映。平日に見たが、満員だった。
(by 新村豊三)