トルコ映画の「二つの季節しかない村」が良かった。チラシを見て詩情あふれる作品かと思ったら、展開するのはなかなかに人間臭いドラマであった。
トルコの僻地に4年ほど勤務する、やる気のない中年男性教員を巡る話で、最初はあまり面白さを感じられない。派手な演出もなくリアルで地味でゆっくり話が進む中で、段々と面白くなり途中から画面に惹きつけられた。
この主人公は、可愛い子にはちょっとエコひいきをする美術の独身の中年教員。地元出身の若い教員と、宿舎の同じ部屋で暮らしている。こんな都会から離れた田舎の学校にも、生徒の権利を守るシステムが浸透していて、区の教育委員会のようなところで、生徒にあまりに親しくくっつきすぎだ(一種のセクハラ?)という苦情が来ていると上から指導を受けたりする。
この映画の面白い所は、都市部の学校に来ている若い女性の先生を知り、だんだんと付き合いが深まるところだ。
美人でやや足を引きずる英語教師である。ある晩、同居する父母が旅に出かけたというので、主人公が出かけて行き、ワインとパスタで夕飯を取りながら延々と話をするシーンがこの映画の白眉である。このシーンの前にも、何回か、登場人物が話を続ける様をワンカットで撮っているが、この食事と対話のシーンは男と女がカットバックで写される。
聞いていると、この女性は以前、左派の「組織」に入っていて爆弾闘争に巻き込まれ足を切断したことが分かる。女性は、正義を求め理想を求めるのを止めない。男、すなわち、主人公は、正義を求めるのを止めたようである。社会の在り方に関わる二人の考えの違いが浮かび上がる。(意外や、この先生もいろいろと考えているのである)一つ一つの台詞を細かくは憶えていないが、とても面白く進む。その対話は15分を越えて続く。
ここが人間の面白い所である。段々と好意というか欲望と言うか、そういったものの全てであるものが二人の間に生まれ、男と女の話になっていくところが、実に自然かつリアルでとてもいい。
しかも、寝室に誘われた主人公が、部屋をうろつくうちに、この映画の「撮影現場」に出てしまう(沢山のスタッフが写る!)という、映画のマジックと言うか映画のお遊びまでが出てくる不思議なシーンも入り、それも、悪くない。
その他、地元の人々を撮った写真が画面に大きく出るのも効果的。リアルさが増している。
終盤になって、主人公が好意を持ち、向こうもそうだろうと思っていた女の子との関係は、自分の独り相撲であったことも悟る。人間は愚かである。だからこそ、愛しいと言うか、いいなと思うのである。
世界は広い、広大だ、そして、トルコの地でも闘っている人がいる、さまざまな価値観、人生観がある。でも、男と女は惹かれ合う、だからこそ人間は面白い、という思いがじわじわと生まれるのである。
雪が解け、季節はいきなり夏になる。古代遺跡も出てくる。まあ、ストーリーは数多の映画で出てくる「二人の男と一人の女」の構図になり、ストーリーそのものはあまり進展して行かない。でも、リアルな人間がいるなあという思いが生まれ、知らぬ世界の風土をたっぷりと味わえた。映画の醍醐味のひとつを体験したという充足感に浸れるのである。
好きな映画をもう一本! トルコに接するのがグルジアであるが、グルジア映画の新作「ゴンドラ」はロープウェイのゴンドラと人が戯れるというワンテーマで作った映画。
山と山を繋ぐロープウェイがあり、小さなゴンドラが行き来する。村人の交通手段になっている。そのロケーション、即ち、自然の風景が素晴らしい。
この映画が面白いのは、全編、全く台詞がないことだ。台詞はないけれど、進行していることは全て理解できる。まあ、複雑な話ではないのだ。
ほとんどストーリーはない。新しい若い女性の乗務員が勤務することになる。もう一人、先輩の若い女性の乗務員がいる。この二人が、ゴンドラがすれ違う中、段々惹かれあう。女の子同士に恋が芽生えるところが、現代の映画たる所以だろう。
ラストは、二人が、山の下の方に住む地元の人たちと「音」によって交流する。村人は盥(たらい)や空き瓶を叩いたりして音楽を生み出す。このシーンは素朴だが味わいがある。
全体として「一服の清涼剤」といった趣だ。監督はドイツ人のファイト・フェルマー。会話のない映画を数本撮っている由。
(by 新村豊三)