ドイツ・オーストリア合作「ある一生」が素晴らしかった。7月公開、気になりつつも見ることが叶わなかったが、やっと東京杉並区の名画座で見ることが出来た。
2019年に原作が出て、映画化された作品。既に古典的風格もある。20世紀、アルプスの山で一生を過ごす名も無き男の話だ。
冒頭、親が亡くなり孤児となった主人公アンドレアスが、延々、馬車に乗り、アルプスの山に暮らす親戚の家に着き、この家の子となる。実の子とは食事から何から差別され、教育も受けられず厳しい労働の日々が続く。義父から折檻も受ける。しかし、アンドレアスは寡黙だが、誠実に、挫けることなく生きて大人になる。
舞台となるオーストリアの谷間の町、絶壁の斜面に立つ家、遠くのアルプスの山々など自然の景観が素晴らしい。全て神が作った自然の美だが、この映画の撮影、カメラワークも「神業」と呼びたい位見事だ。時折、カメラがゆっくりと人物に近づくのも良い。そのことで、映画の臨場感が増したように思える。例えば、若者になったアンドレアスが好きになった女性と家の外に出て、陽の光が暖かいんだと言う時、私は、本当に日の暖かさを感じた位だ。演出とカメラの動きでそこまで感じてしまった程だ。
ストーリーもよく出来ている。主人公が第二次世界大戦に参加するのは欧州の人物を描く映画なら定番だろう。もう一つ、渓谷の「ロープウェイ工事」従事を描いたことがこの映画の成功の要因。主人公が行う過酷な労働の迫力、生々しさ、真実味が伝わってくる。人身事故だって沢山起きる。また、そのロープウェイが近代化を導入し町が変わって行くのである。
自分の意志とは違って、時代は、世界は、変わって行くのが人の世の常だ。前回紹介した「ゴンドラ」の牧歌性はない。リアルで、血が通った人間の営みとしてのロープウェイが描かれる。
タイトル通り、人の一生を描くが、人生、生死、男と女の愛情、幸せとは何かという問いを内包し、自然と、そのことを考えることになる。映画を見た後もしばらくエモーショナルな気分が続いた。主人公は平凡ながらも80年の自分の生を生き切る。だからこそ感銘をもたらすのだろう。
アンドレアスを少年、青年、老人と3人が演じるのも大正解。真ん中の役者が素晴らしい。彼が薪を割る時の力強い腕の降ろし方も好きだ。
ネタバレではないと思うが、女性を巡る展開で、あっと思う点が二つ登場する。一つ目は40年を経ての再会があること。その展開、昔見たフレッド・ジンネマンの「氷壁の女」(1982)を思い出した。もう一つ、晩年、主人公は学校の先生である年配の女性と知り合う。ここでまた恋が始まる予感を抱く。しかし、女の方に、「男と女の営み」を誘う時の恥じらいがほしいなあと思い、見ている方は複雑だった。だから、敢えて書かぬが、映画の展開に安心した。
今年の新作で一番いい。妻との関係を描く点で、昨年のマイベスト中国映画「小さき麦の花」に似ている。こういうのが自分の好みなのか。ともかく、劇場でご覧になってほしいと思う。
それから、近く東京では再上映される「バグダッド・カフェ」のヒロインのマリアンネ・ゼーゲブレヒトが、少年時代の主人公に何かと優しくしてくれる老婆役を演じていたのもビックリだった。
好きな映画をもう一本! その「バグダッド・カフェ」は1989年に公開。確か、今は無くなった渋谷のミニシアターで見た。
アメリカ、ネバダ州の砂漠の中にぽつんと建つカフェとモーテルがある。車で旅行中のドイツ人中年女性が夫とケンカ別れをした後、ここに住み着くことになる。このぽっちゃり型体形の女性ジャスミンは掃除をしたりしてカフェを手伝い、段々と地元の人と付き合い始める。大きな話があるわけではないが、覚えたマジックで人気が出たり、地元の画家と知り合って自画像を描いてもらったりする。因みにこの画家、「シェーン」で悪役カウボーイを演じた、コワい顔のジャック・パランスである。
この映画が話題になったのは、魅力的な主題歌のせいだろう。一度聞いただけで耳に残るような、女性の高い声のボーカルで、ゆったりとした、夢幻的で何か甘い快楽に誘われていくような曲。
サビの部分は次のようであった。
I am calling you, Can’t you hear me、 I am calling you.
便利なYouTubeで聞いてみたが、やはりなかなかいい。かそけきハモニカの音も聞こえる。けだし、名曲である。
(by 新村豊三)