パリからアイルランドの首都ダブリンへの移動が大変だった。陸路で国境を超えるわけでは無い。飛行機に乗るので、パリのはずれにあるド・ゴール空港まで重いスーツケースをガラゴロ引いてゆき、出国審査も保安検査も受けねばならなかった。1時間半と飛行時間は短いが、着いたダブリン空港でも入国審査があり、その後、夜暗いのに、空港からバスで市内の中心部に行ったのだ。
ダブリンへ行った理由だが、音楽映画「ONCE ダブリンの街角で」「シング・ストリート 未来へのうた」の舞台となった場所、それから、ダブリン生まれの作家ジェイムズ・ジョイスの小説「ダブリナーズ」の中の一篇「ザ・デッド」が撮影された家を見たかったからである。ジョイスは英米文学の20世紀最高の作家の一人とされる。
「ONCE ダブリンの街角で」は今年4/20の回に紹介している。「シング・ストリート」は、1980年代、ハイスクールの少年たちがバンドを作る話。2017年のマイベストである。

「ザ・デッド<ダブリン市民>より」監督:ジョン・ヒューストン 出演:アンジェリカ・ヒューストン ドナルド・マッキャン他
「ザ・デッド ダブリン市民より」(1988)はアメリカのジョン・ヒューストン監督の遺作。20世紀初頭、12月、ある雪の日の晩に、仲間が集まってパーティを開く。参加者の一人である大学の先生は、パーティの終わりに、妻の意外な一面を知ることになる。人間のディスコミュニケーション、皮肉、人間存在のはかなさを描いた逸品。
ダブリンは小さいが落ち着いて、しかも伝統的な建造物や見どころも多い素敵な街だ。食べ物も美味しい。歩いて回れるのがいい。街の東西をリフィ川が流れている。
有名な建造物としては、トリニティ・カレッジがあり、これはエリザベス一世が1592年に創立。石造りの建物が美しい。図書館が有名で、「ケルズの書」という、豪華装飾の聖書の福音書ラテン語写本がある。
建物の2階分で、長さ65メートルに及ぶ(!)細長い巨大空間を吹き抜けにした、壁面を書架で埋め尽くした書庫兼閲覧室「ロングルーム」には文字通り息を呑んだ。
さて、歩いて幾つかロケ地を廻って見たのだが。結論から言うと、「シング・ストリート」に出て来る少年たちの学校も何の感興もないし(学校は休校だった)、「ザ・デッド」の家に至っては場所の見当はついても、本当に撮影された家なのかは確信が持てなかった。
ただ「ONCE」については、ダブリンを訪れて良かったと思った。ダブリンは音楽とパブの街と言ってよく、通りには、この映画の主人公のようなストリートミュージシャンが一杯いるのである。冒頭に出て来るセント・スティーブンズ・グリーン公園は大きくて美しかった。

「ONCE ダブリンの街角で」監督:ジョン・カーニー 出演:グレン・ハンサード マルケタ・イルグロバ他
映画の中で、ミュージシャンの男がチェコから来た女性と楽器屋に入り、店内に置いてある大きなピアノを弾かせてもらういいシーンがある。この楽器屋「WOLTONS」を探したが見つからない。同じ名前の音楽学校があったので、中に入って受付で尋ねると、店は違うところに引っ越した、というお話だった。
「ONCE」のジョン・カーニー監督は、「シング・ストリート」の監督でもある。そして、実在する、私が行ってみた「シングストリート ボーイズ スクール」の卒業生なのである。
金曜の夜、ダブリンで最古と言うパブ Temple Bar に入った。建物の外は、もうクリスマスのためのイルミネーションが明るく灯され、観光客で一杯。ギネスビール(ダブリン発祥)とエールを飲んだ。広くない店は、正に立錐の余地もない位混みあっていてムンムンとした熱気があった。最大500人収容できるそうだ。店内ではギターをかき鳴らして唄を熱唱するおじさんもいて、皆が手拍子でそれに応え、大変な盛り上がりだった。
サボイという堂々たる映画館に入った。歴史を感じさせる重厚な映画館で、椅子もフカフカだ。見たのは「I swear」(「私は宣誓します」)というタイトルの英国映画(今年10月公開)。トレット症候群という病気があるものの社会貢献をし、エリザベス女王から勲章を受ける実在の男性の話。
観客はわずか4人。上映前に、地元の方と思われる70代後半のご夫婦が入ってこられて、品よく優しそうな夫人が、前に座っている僕に声を掛けられた。随分、料金高いでしょ、と声を掛けられた(2800円也!)。
映画が終わると、どうでした?と聞いてこられたので、ちょっと最初は痛ましい、でも、感動的ですね、と答えると、主役の人の演技が良かったわと答えられた。フレンドリーだった。
(by 新村豊三)