最初の音が鳴った瞬間、目の前に壮大な地平がひらけた。
そこへ、次々にいくつもの楽器の音が重なる。やがてそれらは躍動する網目となり、聴き手をまだ見たことのない、しかし確かにどこかに存在する「大地」へ運んで行く。
視界の端で、何かがキラリと光った。天窓のあたりだ。
右手を懐に入れ、愛用の万能銃「ムラマサ」をホルスターから抜き、電波モードにして上着の中から天窓に向けて照射する。このモードでは電気回路だけが壊れ、器物は破損しない。
ぽとり、と小さなものが落ちる音。
横にいるアレキセイをちらりと見ると、すでに音楽に集中しているようで、正面を向いたままピクリとも動かない。
私はそっと立ち上がって天窓の下へ行き、落ちたものを拾い上げた。蜂型のリモートカメラ。サムが好んで使う道具の一つである。それを持ったまま、私は操作卓の前にいる長老アトラのところへ行った。
「この建物の出入り口はいくつです?」
「正面と裏口で、2つですが……どうかしましたか?」
「『ニフェ・アテス』を狙う者がやってくる可能性があります。音楽アカデミーの代理人(エージェント)で、サムという探偵です。裏口を施錠して、できれば誰か見張りをつけてください。私は正面を守ります」
「しかし、コウモリ・ネットワークでは何も感知していませんが」
私は手をひらいて、壊れたリモートカメラを長老に見せた。
「サムはこれを使って我々のことを見ていたようです。やつは下層の入口のコウモリ人たちに照明弾を使っています。もしかしたら、侵入者を知らせる役目のコウモリ人たちも、何らかの攻撃を受けたかもしれません」
アトラの顔が緊張した。
「わかりました。若い者を何人か呼びましょう。あなた方が通ってきた階段も封鎖します。曲が終わるまでは、何者も礼拝堂の中には入れません」
そしてレムリを手招きすると、古代銀猫人語で今の内容を伝えたようだ。レムリはまっすぐな目で頷くと、裏口から出ていった。
レムリは、体格のいい男たち4名と一緒に戻ってきた。それぞれ、スコップや棍棒を手にしていて、なかなか物騒な雰囲気である。私は長老を通じて彼らに指示を与え、2名は裏口、あとの2名は私と一緒に正面に回ってもらった。長老とレムリは、アレキセイのそばにいてもらう。
サムのやつ、どこからやってくる?
礼拝堂は小高い盛り土の上にあって、銀猫人たちの「箱庭」を見下ろすことができた。正面には、来るときに通ってきた畑が広がっている。横と後ろは、果樹の林だ。
張りつめた時間が過ぎた。
若者の一人が、上を指差して何か叫んだ。ほぼ同時に私も気づいていた。
天井を埋め尽くす発光パネルの隙間から、蜘蛛のようにロープに捕まって降りて来る者がある。
サムだ。
慌てる様子もなく、悠然とロープを巻き取ると、礼拝堂につながる道を堂々と歩いてきた。私の目の前にある階段の下にもう少しで着くと見えたとき、天井を支える柱の一つを、何かが垂直に駆け下りて、サムに横から飛びかかった。鯖模様の毛を猛々しく逆立てたジョーだった。
くんずほぐれつの大乱闘が始まった。サムは元警官だけあって格闘技の型をとろうとするが、ジョーは喧嘩屋だ。ほんのちょっとした相手のスキを目ざとく見つけては、四方八方から襲いかかる。
私は万能銃を構えたが、二人は接近して動き回っているので、狙いを定めることができない。
ジョーが、容赦ない勢いでサムの顔に手を振り下ろした。サムが顔を押さえると、指の間から鮮血が吹き出た。
血に染まった爪をたかだかと掲げるジョー。眼帯をしていない左目が、ぞっとするほど冷酷な光を帯びている。
まずい。いつもの温厚なジョーではない。完全にタガが外れている。
サムではなく、ジョーの方を止めないといけないかもしれない。
そう思ったとき、ドコッ、と音がした。
ジョーの体が、後ろへ3メートルも吹っ飛んだ。
血染めの爪が二度目に振り下ろされる寸前、がらあきになったみぞおちに、サムの重量感のあるパンチが入ったのだ。
こちらに向き直ったマスチフ人は、顔からだらだらと血を流しながら、ゆらり、と踏み出した。
(第二十六話へ続く)
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