水星人は、朝の早い時刻を指定してきた。
軌道上コロニーから戻って、水星人が脱水症で入院していた病院に問い合わせると、「もう退院した」「個人情報は明かせない」の二つを繰り返すばかり。
彼はちょっと名の知れた実業家なので、連絡先を調べるのはわけなかった。
依頼を果たした旨を告げると、こちらまで出向いてくるとの返事が来た。
そういうわけで、今、レッドイーグル探偵社の事務所で待っているところだ。
部屋の中には、心落ち着くサボテンたち。
中央のテーブルには、軌道上コロニーから連れ帰った花恵が置かれている。
強化ガラスのケースは、特注で急いで作らせたものだ。
約束の時刻になり、水星人が入って来た。
そのとたん、花恵の花弁は目に見えて色を失った。恐怖を感じているのだ。
だが水星人は、花などまるで目に入らない様子で、椅子に座ると開口一番こう言った。
「妻は、どこにいるのですかな?」
私はわざともったいぶって、意味ありげな視線を水星人に向けた。
彼がふたたび口を開いて何か言おうとする直前、私は心外だというように両手を広げた。
「目の前にいらっしゃるではありませんか」
「なんだと……?」
水星人の口調と目つきが変わった。
「心が清ければ、見えるはずです」
私は、舞台役者がセリフを言うように言った。
水星人の目に、みるみる、薄気味悪さと侮蔑と怒りが混ざった色が宿った。
「頭のイカれた探偵め……やはり、こんな下層の連中に頼んだのが間違いだった……金欲しさに、こんな、子供だましとも呼べないような茶番をするとは」
私は大げさに頭を振ってみせた。
「おやおや、なんという言の葉。はるばる軌道上まで行って、費用もかなりかさんだのに」
「それがどうした。結果が出ていないのだから、金など払うわけがないだろう」
「残念ですな」
水星人は勢いをつけて椅子から立ち上がった。
その拍子に、後ろにあったサボテンの棘が刺さったらしく、尻を押さえて悲鳴をあげた。
「このっ、なんだこれは!」
と足をあげて蹴とばそうとしたとき、そのサボテンが鉢ごと消えた。
「!?」
水星人は目を白黒させたが、一度浮かせた足で床を踏み鳴らすと、そのまま勢いに任せて事務所から出ていった。
私は天井を見上げた。
「ありがとう。ここのサボテンは、大事なうちのスタッフだからな」
返事の代わりに、長い舌に巻かれた鉢がしゅるしゅると降りてきた。
サボテンを元の位置に戻すと、レオネはひらりと降り立った。
「どういたしまして」
髪をかきあげながら、涼しげに笑う。
「花恵だと見破ったら、即座にあいつの首を締めてやろうと待ち構えていたけど、必要なかったね。拍子抜けしたくらい」
「言っただろう。私でさえわからなかったのに、あの間抜け野郎にわかってたまるかね」
私は、水星人が開けっ放しにした引き戸を閉めに行った。
「十中八九、やつはクローンだな。私が受け取った前金のことを覚えていないようだった。私のところへ依頼に来てから病院で死ぬまでの記憶はバックアップが取られていないから、新しく起動したクローンには引き継がれていなかったんだろう」
「じゃあ、あなた丸儲けじゃない」
「とんでもない。アマト博士にロボットを壊した弁償代と、騒ぎを起こした迷惑料を支払ったから、すっからかんさ」
「私も精神的苦痛を被ったよ。本当に花恵を奪われたと思ったもの」
「きみだって私をオトリとして利用しただろう。コロニーに着いたとき、ロボットたちに殺されてもおかしくなかったんだぜ。だからちょっぴり意地悪してやったのさ」
「つまり、お互い様ってことね」
レオネは背中からリュックを下ろし、花恵をガラスケースごと入れた。
「さあ花恵、うちに帰ろう。アマト博士がモニターを譲ってくれたから、気がすむまでおしゃべりできるよ」
リュックの口をしっかり閉じて背負い、肩紐についているスイッチをパチっとひねると、リュックは背景に同化して見えなくなった。
「私が着ている服と同じ素材でできているの。金星で起こした事業というのは、このカメレオン・ブランドの製造販売なんだ。紳士服もあるよ。一着どう?」
「考えておくよ」
「ほんと! 今度カタログ持ってくるね」
私は外に出て、二人を見送った。
今日も暑くなりそうだ。
向かいの「月世界中華そば」に目をやると、ショーケースに「冷やし中華はじめました」の貼紙があった。
やっとか。
昼飯は決まりだな。
私は事務所の中へ戻り、コーヒーを淹れはじめた。
(了)
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