番外編 ホテルBの夜

みなさま、ごきげんうるわしゅう。総支配人のテンペストです。
ただいまホテル暴風雨では、スタッフたちが妙にそわそわしております。どうもシェフ・シムシムのおもしろい変装見たさに落ち着かないようで、困ったことではありますが、これも一種の風物詩。シムシムさんが元気な姿を見せてくれるのは嬉しいことですし、たまに気まぐれで古巣の厨房で腕をふるうのを楽しみにする方も少なくないようです。

そしてギャラリーではまつやまさとこさんの個展が始まり、お客様に大好評なのはもちろんのこと、スタッフたちも時間を見つけては入れかわり立ちかわり観に行っているもようです。みなさまもぜひ一度お運びください。

当ギャラリーではただいま11月の企画、多屋光孫個展「嵐を呼ぶ本屋の孫 ー Grandson of a Bookseller Who Causes a Storm」を開催中です。どうぞご覧ください。

さて今朝のこと、この個展と関係がありそうな、奇妙な郵便が届きました。本の一部を複写したもののようで、どこが奇妙かというと、未来の日付が入っているのです。ふーむ、どういうことでしょうね。まあ、当ホテルで日々起こることの列に並べてみれば、案外普通のことかもしれませんが、興味深いのでこちらにご紹介いたします。

その物語が綴られた本を手に取ったのはふとした偶然からだった。当時既に珍しい存在となっていた、美しい布張りの本ゆえ目を引いたのは確かだが、しかしなぜと問われると偶然としか言いようがない。
それこそが童話作家Rの名声を不動のものとした、10編のちいさな物語からなるあの本であり、私とR作品との出会いでもあったのだが、手製本によるその一冊は、Rが記念にでも作った私家本なのか、もしくは、Rの熱烈な愛読者が自分のためだけに密かに作ったものであったか、すみずみまでひっくり返すように精査しても手がかりらしきものはなく、ひどく得体が知れなかった。しかしそんな探索に手を染めるより前に私は物語に引き込まれ、いつしか夢中になっていたのだから、当時はその謎にさほど重きを置いていなかったのだろう。

結局、出会わせてくれた偶然が、次にはてのひらを返すような邪魔立てをして、私はその本を手に入れそびれた。惜しくはあったが、市販され、一般に流通している版を改めて購入し、じっくりと読み返して満ち足りるうちに、あの本のことは忘れていった。現在、あの本が誰の所有になっているかもわからず、実在を証明することすらできないが、思い返してみると、表紙に刺繍で描かれた絵、あれは布画家Mの作品だった気がしてならないのだ。

あの物語がMの作品に着想を得て書かれたことは、ホテルBで開催されたという伝説的な個展のエピソードとともに、今では広く知られている。しかし肝心のMの個展に関しては、どんな内容だったのか、詳細はRの作品やメモから推測するしかない。なぜならばホテルBは所在地も確認不能という手強い謎に包まれており、出展作と推定されるMの10点の作品も、それぞれ熱心なコレクターの手に渡り、今では一般人が目にすることができないもの、所在さえ不明のものが多くを占めるからだ。

ホテルB。必要とする者、縁の深い者は呼ばれるように自然に行き着くことができるが、そうでない者にはまるで絵空事としか思えないというおかしなホテル。
私は、自慢ではないが、不思議なことにはろくに縁がない。Rの本に出会った偶然が唯一の例外くらいのものである。あのRが定宿としたホテルに行ってみたくないはずはない。しかし、私のような者にはどれだけ待ってもそんなチャンスは訪れまいと諦めてもいた。

しかしここに告白しよう。その昔、Rの作品に出会って心奪われてからさほどは経たない若き日に、私は一度だけ、ホテルBへ行ったことがある。その後は一度たりともまみえること叶わず、同名のホテルの可能性も捨て切れはしないが、あんなホテルが二つあるとも思えない。

それは旅にありがちなトラブルとアクシデントが続いた後の偶然による邂逅だった。大きくはない島に立地し、だが無限の迷宮を隠すかのように内には果てしのないそのホテル。驚かされたことを書き連ねればきりがなくなるが、話の本題から逸れるので今は先をすすめよう。朝から飲まず食わずのままたどり着いたのはもう夜も更けてからで、疲れ切って食事をする気力もなかった私に、ベルボーイが部屋でのお茶のサービスを申し出てくれた。しかし何やら気分の高揚が醒めず、ルームサービスよりは部屋の外でお茶を飲みたいのだ、と試しに言ってみると、ティーラウンジに案内された。

そこはとても静かなところで、足音さえ立てないほどに物静かなひとが花のような香りの立つお茶を持ってきて、注いでくれた。心癒される香りに酔ううち、ごたごたした厄介ごとの嵐の後の思いがけない幸運が次第に体内をめぐるように実感され、周囲を見る余裕も出てきた。

月夜だった。窓の外の大きな木には、南国らしい、蝋をひいたように硬質な花弁の白い花がぽつぽつと咲いており、月明かりにほの青く輝くさまは、さながら、伝説の個展の出展作とされる中で、現在見ることのできる数少ないMの作品「星の木」のようであった。よく見れば「星の木」の根元のあたりにはテラス席があり、テーブルをはさみ、こちらに背を向けて並ぶ人影がふたつ、耳をすませば、微かに、時折笑い声の混ざる会話までもが聞こえてくる。

ひとつの影が、「Rさん」と、相手を呼び、私ははっとした。闇を背景にした黒い影であっても目が慣れればわかってくる、それは小柄でほっそりと、楚々とした佇まいの女性で、低めの落ち着いた声の持ち主だった。会話の内容こそほとんどわからないものの、声の調子からは、案外おしゃべり好きなようであること、そして、眼鏡の奥の瞳は好奇心で輝いているだろうと想像させる、何とも好ましい稚気が伝わってくる。そして、月に照らされてちらりと見えた横顔は、写真で知るMの姿にとてもよく似ていた。驚いたことに、話している相手もまた、あのRを思わせる特徴をいくつも備えていた。月下で茶飲み話に興じる二人はやけに楽しそうだった。

しかしおかしいのだ。その年、Mはふらりと旅に出て行方知れずであった。旅の行く先がホテルBだったとすればこちらは筋が通るとしても、Rの方は病に伏して自宅で療養中、外に出ることなど困難な状況だったはずなのだ。それに、Mと思しき人物の方は、その時の歳を考えると、似ているとはいえいくら何でも若すぎた。

一夜の夢だったのだろうと、長い間このことを誰にも言わずにいた。しかしあれから長い月日が経ち、Rの伝記を執筆、上梓する機会を得るという、当時は想像だにしなかった巡り合わせに驚きながらも、あの晩見かけたのがRとMであったことを、今ではほぼ確信している。私が一夜を過ごしたのが、まぎれもなくあのホテルBだったことも。あの美しい装丁の本も、今頃ホテルBの本棚に並んでいるのではないだろうか。

つまりBとはそういうホテルであり、Rも、そしてMも、それだけの怪異を内包した作家なのだ。

   20XX年 あとがきにかえて T


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