誰かのために 第七話

【第七話】

六階にある山本善子の家から見る夕景は、小田原泉の住む二階のそれとは随分違って見えた。

「高さが違うだけでも、こんなに印象って変わるもんなんですね」

「そうですか? 今は工事で目隠しされているからあんまり見えないんだけど、ここから見える夕日に染まる山は、綺麗ですよ。この辺り、高い建物がないから見晴らしだけはよくて」

山本善子が入れたフレーバーティーを飲みながら、小田原泉が聞いた内容は、次のようなものだった。

公約の未達成を理由に、一部の町議の先導によって竹林町長のリコール運動が起こりつつあり、竹林は、早急に対策を取らねばならなかった。
そのため、竹林町長の妻である竹林宏美は、公共政策専門のコンサルティング会社を経営し、やり手の実業家である梅木浩子に、窮地に陥った夫の政策秘書になってもらうよう依頼した。梅木浩子は竹林宏美の旧友だったので、友達のよしみでそれを引き受けた。

梅木浩子がまず取り組もうとしているのは、ポイントの乱発によりサービスが一部休止している、思いやりポイント制度の抜本的見直しとサービスの運用再開であった。そしてそのために、長年コミュニティ心理学を研究してきた小田原泉の意見をうかがいたい、というのだ。

「どうしてそれを、山本さんが、私に?」

「実は、あのアプリ、原案を考えたの、うちの息子なんです」

「え?」

「息子は今、私立の中学の三年生なんですが、パソコン部に入ってて。そこで、プログラミングを習ったらしいんです」

「はあ」

「実はうち、夫が町役場に勤めてるんです。政策推進課というところにいるので、例の公約を実現するのに尽力してて、頭の中、仕事のことでいっぱいで。家でも〝思いやりポイント〟の話はよくしていて。そうしたら、息子がアプリで作ってみればいいよねって言って。叩き台をね、作ってくれたんです」

「すごいですね!」

「ふふ。息子に言わせると、そんなに難しいものではないみたいなんだけど、ね」

「……ああ、そういえば、どこかでなんか聞いたことがあるような。アプリの開発に中学生が関わっていたって」

「それ、うちの息子です」

「そうだったんですね!」

「でも、結局ダメになっちゃって……。息子にもかわいそうなことしちゃったなあって」

「ポイントの乱発でしたっけ。問題」

「そう。さすがに、〝何を思いやりとするか〟なんて、根源的なことを息子は考えてなくて。ただ〝他の人を喜ばせた思いやり〟として、お年寄りに席を譲るとか、道徳の授業なんかで善行とされたようなことをいくつか想定して、あとはAIに学習させようとしたみたいで」

「お子さんが作ったものが、そのままリリースされた?」

「そうなんです」

「業者が入るとか、ご主人たちが手直しするとかもなく?」

「そうなんです。そのまま」

「それはちょっと……。あ、すみません。実際、私、そのアプリを使っていないので、どういうものかもよくわからないのに……」

「いえ。いいんです。普通は、大人が手直しするだろうって思いますよね。私もそう思ってました。まさか中学生が作ったものがそのまま、なんて、ねえ」

「……あ、今日、お子さんは?」

「今、塾に行ってます。……大丈夫です。家にはいません。ふふ」

「ならよかった。あまり聞かせたくない話、なんですよね?」

「ええ。やっぱり、がっかりしてるみたいなんですよね。林檎とかも自分でデザインまでして、可愛いね、なんて皆さんに喜んでいただいて、本人も喜んでたんですよ。なのに……」

「そうだったんですね……。で、作り直すんですか?」

「うーん。私も詳しくはわからないのだけど、デザインとかはそのままにして、少し手直ししようと思ってるみたい。でもこのままじゃダメだから、ポイントの発生する〝思いやり〟というものをもっと具体的に定義しようということになったらしいんです。小田原さんが大学の先生だと聞いて、失礼ながら調べたんです。そうしたら、コミュニティ心理学というものをご研究なさってると知って。それって、こういうことと関係したりしないのかな?って」

「思いやりが何か、ということですか? 別にそういう専門ではありませんが、全く関係ない、というわけでもないかなあ……」

「よかった! もしよかったら、夫に小田原さんのこと、紹介させてくださるとうれしいのだけど。力を貸してくださいませんか?」

これはかなり厄介なことになった、と小田原泉は思った。それでなくても、思いやりなんてものは曖昧で、人によって受け止め方が全く異なる行為だからだ。

そもそも、人の思いやりに対して、お金が絡むポイントを付与する時点で、それはもう、思いやりではなくなる。
実際、昔ながらの道徳観を持つ人間は、この施策に対して懐疑的だった。この世代の中には、そもそも竹林寛に票を投じなかった者も多い。

誰かを思いやるというその理念は、とても示範的で尊い。だからこそ、純粋に「それいい!」と思った者も多く、結果的に竹林寛は初当選を果たした。だが、当初は純粋に誰かを思いやる行為だったものが、最終的に金になるポイントを意識した瞬間、それはもう、別の何かに変わってしまう。

山本善子の説明によると、思いやりポイントアプリは、10代の子どもたちの間で爆発的にブレイクしたらしい。アプリのダウンロード数はリリースして一週間で町の人口の10パーセント、つまり、この町の十代とほぼ同数がダウンロードしたことになっていた。もちろん、この中には、10代以外の人間も含まれる。だが、ユーザーには、圧倒的に10代が多いことは明らかだった。

この世代の中には、まだ自分で働いてお金を得ることができない子も多く、彼らにとって、たとえ金額的には僅かでも〝誰かに親切にして手っ取り早くお金をもらう〟ということは、とても強い誘引力を持っていた。その還元率もよかった。彼らは、些細な行為を互いにし合い〝思いやりをもらった〟と過大評価し、ポイントを請求した。

自分たちで思いやりの定義を見つけることができなかった大人たちは、山本善子の息子がプログラミングしたまま修正することなく、その判定をAIに委ねた。
思いやりに関する知識が白紙のところからスタートしたAIは、欲に囚われた子どもたちが申告しまくった、〝自称思いやり行動〟を膨大に学習し、盛大にポイントをばら撒いた。そして、このままでは財源が足りないと試算したのだ。

(まあ、確かに興味深い研究テーマになりそうだけどね……)

小田原泉は、自分の心の奥底にまだ残っていた、研究に対する欲求を感じ、山本善子の依頼に少しだけ興味を抱いた。

(……でも、この人、私のこと調べたんだ。調べて知ってて、知らないふりをして声をかけてくるなんて。善人というわけでもなさそうね。まあ、それだけ息子が作ったものを無駄にしたくない、という思いが強いということか……)

アプリをダウンロードしたのは、基本10代の人間ばかりで、それ以外の、とりわけ年配の世代では、人を思いやる心を売るような行為に嫌悪感を示した者や、他者を思いやるようで実は利己的な振舞いに過ぎないと抵抗感を持つ者、そもそも電子マネーを信用していない者も多く、アプリが停止中であるということも相まって、少年の〝父を助けたい〟という素朴な愛情と〝褒めてほしい〟というささやかな自尊心から派生したアプリは、事実上、ごみくず同然になってしまっていた。息子の気持ちを想い、なんとかしたいという母心から、山本善子がこうして自分に声をかけてきたのだろうと思うと、そう無碍にもできない。小田原泉は、彼女の依頼を受けることにした。

【第八話へ続く】

(作:大日向峰歩)


*編集後記*   by ホテル暴風雨オーナー雨こと 斎藤雨梟

山本善子、思いやりポイントとは浅からぬ因縁のある人物でした。「おもいやりんご」の産みの親の親、産みの祖母!? それはさておき、小田原泉にとって、思ってもみなかった面倒ごとなのは間違いありません。ああ、面倒だなあ。でも仕方がないなあ。こんなテンションの彼女を「おもいやりんご」はどこまで連れて行くのか、次回をどうぞ、お楽しみに。

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