しまや出版 小早川真樹社長インタビュー第1回

今月の社長インタビューはしまや出版の小早川真樹社長のご登場です。しまや出版は今年50年目を迎えた印刷製本会社で、現在は同人誌専門印刷の老舗として知られています。小早川社長が愛するビートルズナンバーが流れる明るいオフィスでお話をうかがいました。


未経験で跳びこんだ同人誌の世界
しまや出版 小早川真樹社長

小早川真樹社長

社長になられた経緯から教えてください。

「10年前に結婚したんです。妻の両親が経営していた会社がしまや出版ですが、そのときはあとを継ぐとは夢にも思っていませんでした。
ところが結婚の3ヵ月後に義父が旅先で急逝したんです。突然のことで本当にびっくりしました。

義母と、妻の姉二人とそれぞれの旦那さんが集まって、相続とか会社をどうするかの家族会議が開かれました。ぼくはなにせ3ヶ月の新参者ですから黙って端っこに座っていましたら、どうも継ぎたい人がいなくて、廃業するかという流れになっていきました。
でもお義母さんがぼくに、二人きりになったタイミングで言ったんですよ。『本当は続けたいのよねえ』って。それも何度もです。お義父さんと二人で作ってきた会社ですから気持ちはよくわかります。だから『新参者のぼくが?』とは思ったけれど『やってみます』ってお返事しました。
9年半前、最初は一社員として入り、何年か実績を積んでから社長に就任しました」

それまで小早川社長は何をされていたんですか?

「サラリーマンです。業務用無線機の商社で営業企画などを担当していました。
印刷のことは何も知らなかったし、しまや出版の専門である同人誌のこともまったく知りませんでした。全てが新鮮で、社員に一から教えてもらうスタートでした」

しまや出版が同人誌というややニッチなジャンルを手掛けたのはいつごろからでしょうか?

「コミケ(コミックマーケット 注1)が去年暮れで91回目でした。その第2回から関わっているので約40年、この業界では老舗中の老舗なんです。といっても、かっこよくニッチな市場を見つけてというより、他に仕事がなかったからじゃないかと思います(笑)。

義父は自動車メーカーの技術者だったんですが、結婚してメーカーをやめ、義母と十条の商店街で文房具屋を始めたんです。
そういう人だから文房具屋だけだとちょっと物足りなくて、印刷機を入れ、名刺、封筒、チラシなどの仕事を請け始めたのがしまや出版の始まりです。近所にある帝京大学の先生に頼まれて本を作ったりもしたそうです。

40年前そこに同人誌を作りたいというお客さんが来て、義父はこんな仕事もあるのかと思って請けたんですね。当時はふつうの印刷会社さんは個人の小ロットの仕事は請けなかった時代です。だから他に選択肢のない人たちの間で、しまや出版ならやってくれるよ、と口コミで広がっていったみたいです。
その後コミケが急成長し、他にもたくさんの同人誌即売会が生まれ需要が拡大したのを受け、だんだんに同人誌印刷に専門特化していったというのがしまや出版の歴史です」

未経験だった小早川社長が、いかに会社を舵取りしていったのか、次回以降じっくりお聞きします。13日(月)更新の第2回をどうぞお楽しみに!

しまや出版スタッフ

工場の前で。平均年齢29歳、若い元気なスタッフの多い会社です。

(注1 東京国際展示場(ビッグサイト)で開催される世界最大級の同人誌即売会。近年の出展サークル数は約3万5000、3日間の総来場者数は55万人を超える。コミックマーケット公式サイト


小早川真樹(こはやかわ まさき)
千葉県安房郡鋸南町出身。大学卒業後、大手英会話学校にて企画・広告業務を経験。その後マーケティング業界、無線通信機業界を経験。2007年1月に入籍すると4月に義父が急逝。同年9月より義父が営んでいた印刷・製本会社の しまや出版 に入社。全く未経験で知識が皆無のオタク業界、印刷・製本業務に苦労するも、未経験を逆手に取った戦略を実施し、廃業の危機を救う。現在は当社代表取締役として、個人の印刷物を「宝物」と位置づけ、多くのファンを獲得している。


 

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