この記事は「知られざるアンデルセン」シリーズ第3回です。
バックナンバーはこちら: 第1回 第2回
敬虔なキリスト教徒アンデルセン、教訓譚の道具立てには神様もびっくりの独創性
前回、アンデルセンの「死」「自分の死後の未来」に対する思いの変化が作品に表れているのでは、と書きましたが、経年変化というより、むしろ年とは無関係に、常に相反する顔を持っていたのでは? と思える点もあります。今回はそんなことを書きます。
アンデルセンの、とくに人間が主人公のお話には、キリスト教の信仰に基づいた教訓譚的なものが多いです。『赤いくつ』のように、高慢な少女が罰を受けるが、罪を悔い、最後には……という系統の話がいくつもあります。教訓じたいよりも、勝手に踊るおそろしい靴(『赤いくつ』。ほぼ妖怪です)や、天国の声も地上世界の声も一度に聞こえてしまう沼(『パンをふんだむすめ』。猫型のあのロボのポケットに入っていそうな便利さ)などの設定が個性的で面白すぎるのですが、熱心なキリスト教徒であったことは間違いないようです。
『天使』は、病気で死を迎えた子どもが主人公。天使に連れられて天国へ行くとき、とても小さく優しい奇跡を見ます。教訓というより、純真無垢なまま短い人生を終えた子どもの魂は救われて欲しい、救われるはずだ、という祈りが伝わってきます。
天国に行けないものの幸福を描いた?
一方、信仰とは矛盾する気持ちもあったのではないでしょうか。
当時のキリスト教の考えとして、人間には魂があって、よい魂は天国へ行ける、でも人間以外のものには魂がないとされてたそうです(というか、今もたぶんそう)。アンデルセンの作品にもそれは反映されています。だからこそか、人間以外のものを主人公にした物語の中に、「人間の善性」や「魂の永遠の救済」など信仰と親和的なところにはどうにも着地しきれないものがあります。
以下には、「魂がない」とはっきり書いてあったり、死後魂の世界や天国へ行く記述のない物語を紹介します。
『しっかりしたすずの兵隊さん』は、比較的知られているお話でしょうか。ラブストーリーとして読むと、死ぬことではじめて恋が成就する物語ですが、「死んであの世で幸せに」(なぜか七五調になったのは多分、心中が日本の文楽や歌舞伎で人気の演目だから)という話かというと、どうも引っかかる。兵隊さんは擬人化されていますが、魂の世界は描かれません。死んでおしまい。でも、この世に「ハート」を残して行くのです。『人魚姫』とも少し似ています。人魚姫が王子に出会って人間に憧れますが、その理由の一つが、「この世で人間だけが不滅の魂を持つから」です。王子に愛されなかったので人間になれず、海のあぶくになってしまいますが、空気の精たちと一体となって、いつか魂を得られるのかも? という終わり方をします。死後の魂の平安を求めるというより、これと決めたものに自分自身を投じれば、たとえ報われなくても(そして死がすべての終わりだったとしても)、この人生で幸福だったと言える、それは永遠の魂を持つことにだって相当する、という考え方ではないでしょうか。ふたつとも悲しい話ではありますが、信仰とは別の文脈での、アンデルセンのポジティブさが表れているように思えます。
『もみの木』という作品があります。こちらはもっと虚無的なお話で、主人公のもみの木は擬人化されて人格はありますが魂はありません。クリスマスの一夜だけの栄光と死。「死んでおしまい、本当におしまい」と念を押すような結び。刹那的な生き方への戒めと取れなくもないですが、アンデルセン自身が、「人間だって今がすべて、死んじゃったらおしまいなのでは?」と感じることもあったのでは、と思ってしまいます。
一方、『年をとったかしの木の最後のゆめ』という作品では、同じ「木」を主人公にしながらがらりと雰囲気が変わります。かしの木は一日で死んでしまうかげろうを哀れみ、悲しみます。すばらしい夢を見るときも、自分だけではなく、かげろうや、他の出会ってきたすべてのいのちとともに同じ幸福を味わいたいと願います。かしの木の死後の魂は描かれませんが、その死は惜しまれます。これまた先日紹介した『ほうき星』同様、死後の魂よりも死後に残される世界への思い、同時に生きたものたちへの思いがこもっているようです。
熱心な信仰を持っていたといっても、人間ですから信仰心は揺れ動き、アンデルセンほどの独創的な人ならば信仰の「独自アレンジ」も相当個性的だったことでしょう。
アンデルセンはいくつものコンプレックスを持っていて、気分や自己評価の浮き沈みがとても激しかったそうです。作家としても、ある時は神様の視点になって報いを与え、ある時はたましいのない者にそれでも思いを貫かせ、時には虚無の世界に落ち込ませたりしました。報われたいという気持と、報われなくても信じたことをする強さ。不滅の魂への憧れと、たとえ不滅でなくとも「魂のある」生き方をしたいという意思。「死」というテーマをひとつとっても、美しいもの変てこなものいびつなもの、いろいろなエッセンスがまざり合ったアンデルセンの魅力を感じます。
そして「死」とは正反対のユーモアのある一面こそが『大きなうみへび』で見られる「知られざるアンデルセン」で、これまた魅力的。次回はそのことを書きます。
『大きなうみへび』文学フリマ東京39に出品します
ページトップの写真は限定版『大きなうみへび』の見返し部分。きたる2024年12月1日に開催される「文学フリマ東京39」に連れて行きます。
本文中で触れた作品は『完訳 アンデルセン童話集(高橋健二訳・いたやさとし画 小学館)』に収録されています。以下、収録された巻を記します。
『しっかりしたすずの兵隊さん』:第1巻
『もみの木』『天使』:第2巻
『赤いくつ』:第3巻
『パンをふんだむすめ』『年をととたかしの木の最後のゆめ』:第5巻
『大きなうみへび』:第8巻
アンデルセン作『大きなうみへび』については、次回に続きます。どうぞお楽しみに!
次の記事はこちらです↓
知られざるアンデルセン<4> 『大きなうみへび』の小さな魚〜ユーモアと好奇心
(本記事は、以前「雨梟の多重猫格アワー」に掲載した文章を再編集したものです)