「食物繊維」というものがあります。
おなかスッキリ健康に良い、でお馴染みの、あれです。
聞くところによると、「これぞ食物繊維」という決まった形があるわけではなく、 可食で、なおかつ消化液で分解されないものを総称して「食物繊維」と言うのだそうです。
さて、うちの猫は輪ゴムが好物です。
輪ゴムを家に持ち込むときは細心の注意を払い、 猫の手の届かぬところに保管しているつもりなのですが、 どうも時々、知らないうちに食べてしまっている様子です。
なぜわかるかというと、猫のトイレの掃除をするときにわかるのです。見事に原型をとどめたまま、出て来ます。
ふーむ、 定義に従えば輪ゴムもまた食物繊維と言えるのではなかろうか、「食物」かはさておき、なにがしかの「繊維」ではあろうなあ。
などと、感心している場合ではありません。これで猫のおなかもスッキリ!と喜んでいる場合でもないのです。
輪ゴムなどひも状のものを飲み込む猫は割合多いのですが、これが腸内でからまったりすると極めて危険だという話です。 もう二度と輪ゴムは渡すまい、と決意を新たにする私なのでした。
ここから先が怖い話です。日課の猫トイレ掃除も終わったある深夜、私は一人机に向かって仕事をしていました。猫が片手をあげて「そうだニャ!」とか何とか言っているような絵を描いているので、 傍目にはふざけているとしか見えないことうけあいですが、仕事は仕事、本人は至って真剣なのです。特に期限も迫っての仕上げの作業は緊張し、細かい線を引くときなどは文字通り「息詰まる」緊迫感です。
その緊張が一瞬ほぐれるのは、一つの線を引き終わってふうっ、と息を吐いたときです。
さて、長いストロークの線を引けば必然的に息も長くなるわけですが、そんな長く緊張みなぎる息を吐ききった瞬間に、真っ暗な無人の隣室から、べべん、べん、べん、と、琵琶をはじく音が聞こえてきてごらんなさい。
もう、泣くほど驚くに決まっているというものです。
そして実際、聞こえてきたのですからたまりません。
祇園精舎の鐘の声~ べべん
諸行無常の響きあり~ べん
沙羅双樹の花の色~ べんべん
盛者必衰の理をあらわす~ べんべんべん
という感じの、あの「琵琶」です。
またしても驚きやすい私のこと、「び、琵琶法師の霊か!?そんな教養深い幽霊と一体どんな話をすれば?」と大汗かいて大慌てです。
こわごわ隣室との境の引き戸をうすく開けてのぞいてみると、部屋の中央にぼんやりと白いかたまりが浮かび上がって見えます。
あれは。
あれは、間違いなく、うちの猫ではありませんか。
猫は、買ったばかりの本の上に覆いかぶさっていました。本をレジに持って行き、カバーをかけてもらい、「袋はご利用になりますか」と聞かれたので「いえ、結構です」と断ったところ、輪ゴムをかけてくれた、その輪ゴムが狙いです。
どうにかして取って、いや捕ってやろうと、爪で必死に輪ゴムをはじいていたものが、「琵琶の音」に聞こえたわけです。
本に「固定」された輪ゴムならば安心、と思いきや、さにあらずです。実に油断がなりません。しかもこんな絶妙のタイミングで。
こちらはもう、恨み心頭といった面持ちで飛び出し、「琵琶法師~!!」と唸るような低音で叫びながら追いかけたところ、猫は目をまん丸にしてこちらを凝視し、固まっていましたが、一瞬ののち、脱兎の如く逃げて行きました。
猫と生活していると毎日何かしら不条理なことが起こるのはどうしたことか、と思ってきましたが、よく考えれば、相手もまたそう思っているのかもしれません。
※2005年にホームページ旧「雨梟庵」に掲載した文章「雨梟庵雑記」に加筆修正のうえ再録したものです。
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