ゲートウェイに新アイディア・ゲートウェイ師匠

毎度ばかばかしいお笑いを。雨梟亭山吹丸でございます。「待ってました!」「妄想!」「インターネット!」

ゲートウェイはどうなった

先日、山手線の約40年ぶり新駅の駅名「高輪ゲートウェイ」が発表されて大不評なことについて書いた。書いた時には「東京中が大騒ぎ」というホットな話題だったのだが、騒ぎはすっかり沈静化したのか近頃とんとゲートやウェイについて聞かなくなった。それに伴い件の記事も、本人としては「この流行りのトピックをこれ以上真剣に考えた奴はいないだろう」くらいのテンションで書いたはずが、今読むと全然流行ってない話題についてふざけてみたが空振り(しかも妙に長い)という感じがして残念なことこの上ない。

だがそれこそが資料的価値というものなのでそのまま残しておく所存だ。

カタカナ駅先進地

まだ東京がゲートウェイで沸いていた時に友人にその話をしたところ「あれってそんなに話題なの?」という温度差を感じた。東京都在住でなく日常的な山手線ユーザーでもないから、というのもあるだろうが、友人曰く「ごめん私浮かれカタカナ駅の近くにずっと住んでて見慣れてるから」と。そういえば彼女は横浜市在住、市営地下鉄「センター北」駅が最寄りなのだった。

なるほど「センター北」かぁ〜!と盛り上がり、さすが横浜、カタカナ駅先進地だったかと納得したり、自分にはこんな先進的な友達がいたのだと誇らしい気分になったりもした。

ちなみに横浜市営地下鉄には「センター南」という駅もある。カタカナ駅名はこの二駅のみで、いずれも「港北ニュータウン」のセンター地区に位置する駅、駅開業は1993年。歴史あるカタカナ駅だ。

センターと言えば忘れちゃいけない、東京にだって「多摩センター」という駅があるじゃないかと調べてみたら、なんとこちらの駅は「多摩ニュータウン」のセンターとして1974年に開業している。実は横浜も東京もわりと早くから「カタカナ駅」を取り入れたカタカナ駅先進地だった。

だがこれらは大規模なニュータウンの開発に伴って開業した駅で、その中心となるエリアという意味での「センター」なのだ。街ごと新しいものができるという未来への期待感とともに受け入れられた駅名だろう。「とうきょうスカイツリー駅」と似たパターンである。「そんなふざけた駅名は嫌だ」「そんなモノはいらん」と言う人もいたかもしれないが、どちらかといえば大規模開発そのものに否定的な人だったのではという気がする。もちろん実際のところは知らないが。

翻って「ゲートウェイ」だ。以前書いた時と同様しつこく翻るが、新駅周辺に「ゲートウェイ」と名のつく普通の商業施設ができたくらいでは納得できない。そんなものは東京じゅうにウジャウジャニョキニョキ建っているのだから。

高輪ゲートウェイへの、これは愛なのか?

前回も相当しつこくかつ真剣に、この黒歴史感溢れる「高輪ゲートウェイ」という駅名を活かす方法を考えたのだが、さらにしつこくまた新しいのを考えてみた。

こうなると一体お前は高輪ゲートウェイをくさしているのか大好きなのかどっちなのかと言われそうだが、どっちかというとくさしているのだ。しかしどうせ新駅名が撤回されることがない(多分。反対運動も沈静化したように見える)のなら、うまく馴染むようにした方が良い、というエコロジカルな使命感がこれを書かせる。

というのは嘘で、「なんか嫌だ」と最初だけ大騒ぎして「でも別にいいや」と、特にひねりを加えるでもなく普通に受け入れてしまうことへの違和感が大きいかもしれない。

何でもかんでもお上(正確にはJR東日本だが)のする通り受け入れるって、それでも江戸っ子かいてやんでえべらぼうめ、という気分である。

受け入れるなら受け入れるで、何かひとひねりなりひと工夫なり、しなくていいのか。かつて世界一有名なクマ、「プーさん」がウサギの巣穴の出入り口に腹がはまって出られなくなるという大事件がイギリスで起きたと聞いている。住み慣れた家の室内にクマの両脚が突き出ているというエクストリームな事態に見舞われたその時、ウサギは、確かその両脚をタオルかけだか棚板置きだかとして利用していた。せめて東京都民にもウサギほどの気概が欲しい。役にも立たないのに壁から突き出ている脚にただ慣れるってのはどうなんだ。自分でどうにもできないなら金田一を呼ぶべきだ。

(↑脚が突き出すといえばプーさんかコレ。Amazonへリンクします↑)

ゲートウェイ師匠、いらっしゃい

さて肝心の新しいアイディアだが、人気の落語家、または将来有望な落語家に高輪ゲートウェイ駅近辺に住んでもらうというものだ。

何だそれはと言わずにまあ聞いてほしい。

私も別に詳しいわけではなく、全国的な風習かどうかもわからないが、少なくとも東京の寄席に行くと、噺家が高座に上がった時、掛け声がかかることがある。「待ってました!」「たっぷり!」などと共に定番なのが、「よっ、**町!」と、その噺家の住んでいる町名を叫ぶというものだ。歌舞伎で「**屋!」と役者の屋号を叫ぶのと似ている。

掛け声だけでなく、今でも「黒門町の師匠」と言えば故八代目桂文楽のこと、「矢来町」と言えば故古今亭志ん朝のこと、など、落語通や関係者の間では町名がその噺家自身を表す符丁のように使われるらしい。

つまり、高輪ゲートウェイ近くに住む噺家が「ゲートウェイの師匠」と呼ばれて評価を得れば、もはや文化に根付いたということで馴染みはしないか。しかも伝統芸能とくれば妙に甘くなるのが日本人というもの、ゲートウェイに愛着が出てこないとも限らない。

ゲートウェイは駅名であって住所ではないが、例えば上に例を出した「黒門町」、今は台東区上野という住所になっている。だがそれを「上野の師匠」と直したりはしないのだ。この辺はゆるく行こうということでひとつよろしく。誰に頼んでいるのだかわからないが。

「黒門町」の例は落語の世界だから古い町名にこだわってのことだろうと思うかもしれない。私も以前は、「**町」と掛け声にする場合、旧江戸内の下町情緒のある町名で、「**町」と末尾に町がつく住所でないと格好がつかないから無視されるのかと思っていた時期があった(江戸時代の江戸というのは今の東京23区に比べると随分狭い)。だが、「浜田山!」(東京都杉並区の町。江戸ではないし町もつかない)など、旧江戸の下町情緒の限りなく薄い掛け声もよく聞くので、そういうこだわりとは無縁なのだと思う。

歌舞伎役者の屋号は調べればすぐにわかるのに比べ、落語家の住む町などという個人情報は、足繁く寄席や落語会に通う、後援活動をするなど熱心なファンでないと知り得ないのだから、掛け声の「通っぽい感じ」が感じにとどまらず実質的なところもぴったりだ。そこに根づけば勝ちではないか。

それに「よっ、待ってました!」「ゲートウェイ!」は、ちょっと面白くていい。そのまま噺の枕にもなるのではないでしょうか、どうでしょうか、落語家のみなさま。

と、今日も妄想してみたわけだが、ページトップの絵は、私の個人ブログ「雨梟の多重猫格アワー」に時々出てくる私の脳内妄想猫、山吹丸です。

「どうも山吹丸です」

「菫丸もいるにゃ」

色が違うだけであとは同じなどというと機嫌を損ねる繊細な猫たちなので言わないであげてほしい。脳内妄想とブログに生息しているので、もし落語の世界に入り高座に上がり掛け声がかかるとしたら「妄想!」「インターネット!」だと思う。


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