カワイイあの方の毛皮がピンチ
近頃の若者は語彙力や表現力に欠けており、女子高生なんぞ何でも「カワイイ」で済ませる、けしからん、とプリプリ怒っている年寄りをよく見かけたのも昔のことになってしまった。
家に一人でいる時、私はよく宇宙一の美女(注:猫)に話しかけているが、猫というのはとにかく常軌を逸して可愛いものなので、最初は冷静に話していても、いつしか興奮して「かわいい!」「かわいい!」「かーわーいー!!」とトランス状態になって家中をぐるぐる回り出したりする。一人暮らしの頃など、下手をすると一日に音に発して言った言葉の9割が「かわいい」だったということはよくあった。ゆえに、カワイイしか言わないのは女子高生ばかりと思うなよフフフフフ、と、そんな言説を耳にする度勝ち誇っていたものである。
さて、旧来の意味での「可愛い」を超えた「カワイイ」はすっかり市民権を得て、クールジャパン、という大雑把なジャンルに大雑把にまとめられたり、そうでない場面でも老若男女にますます適当に使われている。私も宇宙一の美女(注:猫)を褒め称える時以外にも、日々適当に使っている。
とはいえカワイイといえば私にとっては何をおいても宇宙一の美女(注:猫)なのだが、世間では猫は猫でもキティさんがカワイイと評判らしい。キティさんといえば、今日電車に乗って車内貼りのポスターを眺めていたら、脱毛サロンのキャラクターになっていた。気さくで仕事を選ばないキティ先輩のことはすごいと以前から一目を置いてはいたが、さすがに「いいのか?」と思った。毛を抜いてツルツルにしちゃっていいの。本当にいいの。
古い言葉と造語のはざま
話が逸れたが、では今時の「表現力のない」若者が何でもかんでもコレで済ます万能の言葉は何なのだろう。「ヤバい」もそろそろ古いのかもしれないし、見当がつかない。そんな言葉はもうないのだろうか。
私はそういう言葉に興味がある。表現力の不足などと言うが、コレで何でもかんでも済ませるという言葉が、むしろ表現を考えるにあたり有効に働く場合があると思う。
自分の話になるが、「衝撃を受けた」「衝撃的」という意味合いでの「ショック」「ショッキング」をもじった「ジョック」「ジョッキング」という造語が、局所的に流行ったことがあった。局所的というのがかなり狭かったのは確かだが、友達何人かの間だったか、家族内だったか、もしかしたら私の妄想内だけだったか、そのへんは曖昧である。
「ジョック」と言った時点でまず、奇妙、鮮烈、度を越している、破壊的、おかしい、ひどい、などの、今ある言葉では表せない何かがここにあると確認できるし表現もできる。そしてその言葉を狭い範囲であっても流通させているうち、「ジョック……」なのか「ジョーック!」なのか「ジョックぅ~」なのかでニュアンスに違いが出てくる。語感と表現したい内容の対応が次第にハッキリしてくるのだ。
これは、旧来ある言葉をそのまま使うのではなかなか気づかないことだし、ニュアンスの違いをあらかじめ「ジョック」「チョック」「ショッグ」など違う言葉を使い分けて表現しようとしてもうまくいかない。人間は言葉を使って考えるという考え方がある一方、私は思考が先にあってそこについてくる言葉だって数多いと思うのだが、この「単一の言葉の発音によるニュアンス違い」の学習に関しては、思考や概念が先にありながら、言葉と不可分に混ざり合って育ちゆく例のような気がする。
だが「ジョック」などという造語は、局所的流行が全然広がらなかった点からも明らかに、使う人を選ぶ。流行の言葉でもこれまでなかった新語(今だと「エモい」あたりだろうか?)は、やはり抵抗を示す人も多くなかなか爆発的に広がらないものかもしれない。
そこへいくと「カワイイ」はすごい。これまでなかった事象を表現したいという要請に、既存の言葉が応えた結果、広く人口に膾炙し、これまでにないニュアンスを多く取り込んでまだ広がっている感がある。
「カワイイ」と声に出して言い、何度も使うことで「可愛い」なのか「かわいい」なのか「かーわーいー!!」なのか、表現したいことと言葉の対応がだんだんついてくる。仲間内ならば「カワイイ」のバリエーションで事足りるゆえそれ以上の発展をしないかもしれないが、様々なニュアンスが発音の違いとして体に残っているから後で思い出すこともでき、「あれはこういう事象を表現したかったのだ」と、別の言葉なり図なり数式なりで後年再現することも可能になる。カワイイの中だけに永遠に封じ込められる儚いカワイイもあれば、そこに留まらず流れ行くカワイイも、いつか別の言語等の補助を得て定式化されるカワイイもある。何でもかんでもカワイイと言わずに美しいとか可憐であるとかちょっと不気味だとか、すでにある他の言葉を駆使しても、その隙間からこぼれ落ちてしまうものがあるのだと思う。細い箸で何でも食べられるように練習してもそうそう何でもは掴めない。巨大なお玉みたいなスプーンでとりあえずすくっておけば、後で精査することもできようというものだ。
新しい価値はとりあえず「カワイイ」と言い続けてきたのが現在だとしたら、そこから「カワイイA」「カワイイB」などが分岐し、太い枝に育ったものに別のハッキリとした概念として新しい言葉が与えられるのはこれからかもしれない。
新語「みみしろい」育成中
しかし何でもかんでもカワイイだと、何でも入る便利すぎる引き出しのように、結局とっちらかってわけがわからなくなるだろう。
私は今でも懲りもせず時々、自分にとっての「カワイイ」的な言葉を新しく作ろうと試みる。例えば、「あからさまに派手で分かりやすくはないし、一見周囲に溶け込み、普通に見えるけれど面白い」ものというのがあるだろう。結構いろいろな場所に、いろいろなベクトルで存在している。それらは新しい価値の種のようなもので、見るからに派手なものよりも概念として斬新なのに、「これちょっと変わってる」「これちょっと気になる」などという今ひとつな言葉であしらいがちだ。
近頃そういうものを「みみしろい」と表現するのが流行っている(私の脳内で)。
「おもしろい」は漢字だと「面白い」と書く。当て字かもしれないが面が白い、顔が白いということだ。顔全体は白くないが耳が白いというのはかえってもっと面白いのじゃないか……とか何とか考えて生まれたような、そうでないような、もう忘れてしまった。
何ともいえない佇まいで日常性や凡庸さに擬態する絶妙なおもしろさ、それが「みみしろさ」である。「みみしろい」ものをコレクションして新しい価値としたいところだが、何しろ私一人にしか通用しない言葉であるし、その私でさえいつ飽きて忘れてしまうか怪しいものなので、宇宙史上この瞬間、この場にしか存在しない貴重な概念となるかもしれない。
キティちゃんが脱毛サロンの宣伝をしているさまにはある種の「みみしろさ」がある。だが今後「カワイイ」とされるか、「ウケる」と爆笑されるのか、「ブラックジョーク」「面白くやがて哀しい」的なゲテモノに見られるのか、「みみしろい」とされるか、イメージはその消費のされ方にもだいぶ依存する。取り敢えず私は、そこに一種の「みみしろさ」を見たことをしばらくは覚えていようと思う。
というわけで、ここまで妄想話にふけるともはや一人の読者もついてきてくれていない気もするが、大事なことを念のために言っておこう。何だこれは表現する言葉が見つからないという場合、一度「みみしろい」ではないかと疑ってみましょう。みみしろいものを発見したという方も、あと、今時流行っている何でもコレひとつ、みたいな万能の言葉を知っている方も是非こちらからお知らせを!
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